後々の歴代チャンピオンが束になってもかなわない、初代トライアルチャンピオン木村治男さんが駆ったいにしえのTY250Jチャンピオンマシンも当然のようにありまして、ご本人と、のちに2回チャンピオンになりましたお父さんとのツーショットですね。
後々の歴代チャンピオンが束になってもかなわない、初代トライアルチャンピオン木村治男さんが駆ったいにしえのTY250Jチャンピオンマシンも当然のようにありまして、ご本人と、のちに2回チャンピオンになりましたお父さんとのツーショットですね。
うちの工場には“ミュージック”はあります。それも私の青春時代に一時代を謳歌した「BOSE(ボーズ)」です。この音響システムは出た当時は40万円くらいするしろもので、作られた人工の重低音という批判はありますが、とにもかくにもその凄まじい低音には圧倒されたものですね。
例えばの話です。
澤穂希はもう引退宣言をしたけど、「女子サッカー選手全員が妊娠した」とします。
妊娠が判明した時点で、以後、選手として使いものにならず、妊婦となった選手は全員総入れ替えせざるをえません。
極論を言えば、おめでたい事なんだけど、スポーツの世界では「チームの存在が一瞬にしてゼロ」になってしまいますね。
宝塚とかAKBやモー娘は、すべて恋愛禁止で、男がいるのが発覚したら、即退団です。
恋愛→即妊娠なぁんて事はないでしょうが、ようするに「女が事を成すに、男はじゃま」という事でしょう。
反対に「男子サッカー選手全員の奥さんか恋人が妊娠した」とします。
たとえこうなっても、男の場合は何の影響もなく、逆に「子供ができるんだから、より父親としても自覚を持って練習せい」と、ハッパをかけられてしまいます。
「嫁や恋人に尻を叩かれる」という言葉があるように、男が事を成す、には女性の力がパワーの源は間違いありません。
男であれ女であれ、本職であれ趣味であれ「事を成す」には、長い年月がかかります。
男は「趣味の生涯スポーツ」として、お仕事がどうあれ自分の意思で継続的に長く続けられますが、女性の場合で適齢妙齢期の場合は「結婚.妊娠.出産.育児」がありまして、途中お休み中断から逃れられません。
うちの娘みたいに独身はいいとして、ご結婚なされている方がトライアルを趣味として長く続けるためには
・子供を産んでからトライアルをやる
・トライアルに区切りをつけてから子供を産む
・子供は作らない
のどれかです。
女子部期間中に結婚なされたのが3人いて、うち一人のお方が女子部期間中に妊娠.出産なさいました。
今から45年前、ロード.モトクロスに続く第3のモータースポーツとして、トライアルが日本に入ってきたの。
入ってきたいきさつ政治的なことはさておき、HONDAはTLで成田省造さん.万沢康夫さん.西山俊樹さん、YAMAHAはTYで木村治夫さん、SUZUKIはRTLで名倉直さん、KawasakiはKTで加藤文博さん、各ワークスライダー面々を揃えての大バトル。
この4メーカーのバトルのいきさつはまた別の機会に~♪
で、何故、不祥私めが一番最初にSUZUKIに乗ったのか??
そして、なぜ現職白バイ警察官が「ワークスマシンに乗って」2回も全日本チャンピオンになれたのか??
さて・・・・話は43年前に戻りましょう。
白バイ全国大会訓練の一つの種目として、日本に入ってきたばかりのトライアルが採用され、新訓練隊員全員がトライアルをやらされます。
これも当時発売されたばかりの「HONDA.TL125を売りたい」という政治的な部分があるだろうけど、ここではその話はパス。
通天閣のある浪速警察署の“ジャンジャン横丁交番所のおまわりさん”から、本部交通機動隊へ転勤になり、はれて白バイ隊員になりました。これが25歳の時。
新隊員は訓練の一環として公用車のTL125に乗って訓練を受けるんだけど、これが5台を回し乗りだもんでけっこうボロボロ。
同じTL125なら、自分で買ったマイバイクで訓練を受けてもいい、というんで新車のTL125を買います。
白バイ全国大会に向けて訓練期間中に出たトライアルの大会は、新車のHONDA.TL125を買って腕試しに出た鈴鹿サーキットでのスカクラス1位のみ。
以後は、ひたすらその年の白バイ全国大会目指して近代五種競技と同じく、以下の五種目の訓練に励んだの。
(1)スラローム → 自動車試験場みたいなコースをクルクル一人ずつ走ってタイムを競う
(2)不整地走行 → TL125でモトクロスコースを一人ずつ走ってタイムを競う
(3)トライアル → 今の私たちがやっているトライアルとほぼ同じ
(4)速度感覚 → 鈴鹿サーキットのショートコースを、指定された決められた時間で白バイで一周して、そのタイム誤差を競う
(5)目測 → 30秒間隔で10台の車が走ります。その1台ずつの・速度・色・乗車人員・ナンバーをメモして正誤を競う
結果、(1)のスラロームは3位、(2)不整地走行は1位、(3)のトライアルは2位、(4)の速度感覚は5位、(5)の目測は7位の、個人総合2位だった。
当時の記録を見ると、以下の通り。
第6回1974年
(一部)
1位 福 岡
2位 大 阪
3位 警視庁
(二部)
1位 三 重
2位 岩 手
3位 滋 賀
(個人)
1位/福 岡 久保井弘陽 2位/大 阪 黒山一郎 3位/福 岡 蒋野一利
個人総合1位の白バイ日本一は福岡県警の久保井さんという方で、以後、九州から白バイ日本一が出ていないから、この久保井さんが未だに九州の県警ではただ一人の白バイ日本一記録保持者という次第。
個人総合3位は同じく福岡県警の菰野さんという方で、私も福岡県出身なんでこの年の1.2.3は全員福岡県出身者だった。
蛇足ですが、1位の久保井さんは食道咽頭ガンで“ノドの部分”を取ってしまい、2位の私は“食道と胃”を取ってしまい、3位の菰野さんは“大腸ガン”という結末。
毎年、白バイ全国大会に向けて訓練にお励みの全国の若き警察官貴兄、あんまり入れ込んで訓練にお励みになりますと、必ずやガンに見舞われますのでガン保険にお入りになるのが肝要なり。
話は前後します・・・・。
白バイ訓練中にMFJ(モータースポーツの親分組織)から、一通の案内が来ました。
「中部選手権で20点獲得したから、11月の第2回全日本(神奈川県早戸川)選手権大会のノービスクラス出場資格がある → 出るか出ないか、返事せよ」なんだって。
記憶では、まだ8月頃で「へぇ~こんなんあるんだ。早戸川ってどこなん」で終わり、白バイ訓練の方へ集中。
そうこうしていると、SUZUKIから4人の部外講師の方がおいでになり、指導を受けます。
そのうちのお二人は単におしゃべりだけの担当でしたが、オンロード乗車担当がマン島TTレース50cc日本人初優勝の伊藤光男さんで、オフロード乗車担当が現役のモトクロスセニア(今の国際スーパーA級)ライダーで、なおかつトライアルもSUZUKIワークスの昨年のエキスパートゼッケン5の名倉直さん。
この指導を受けている期間中に
・名倉さんってトライアルやってるそうですが、11月にやるトライアルの全国大会に出るんっすか
・自分も出る権利があるんすよ、出る出ない、なんていう招待状が来てるっすけど、出てやろうと思ってるんすよ。
・早戸川ってどこっすか
なんて、バイクのふるさと老舗の浜松もんに、警官がなめられたらいかんので関東弁で聞く。
まあ、SUZUKI講師陣の方々も、デビューした頃の小川つよぽんと同じで「若いのは生意気くらいでちょうどいい」と、お許しいただいたような気がする。
現役バリバリのトライアル超一流ライダー相手に、バカな質問をしたのがそもそもの私のトライアル人生の始まりだったとは・・・、そして警察官まで辞めてしまうとは・・・。
これが25歳の時でしょう。今、67歳だから以後42年の長きにわたりトライアル人生、というよりも、孫3人が引き続いてやりそうで、死ぬまでトライアル道一本で「私のトライアルは死なないと終わらない」のは確実模様。
女子部の8人とは「死んで向こうで会ったら夫婦になろう」の約束ができていているから、向こうで女さがしをしなくていいから安心である。
本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫
「毎日、バイクに乗せているんでしょう。危なくないですかぁ~」なんて、うちの事情を知っている宅配の方なんかによく言われます。
「毎日、ピアノの練習させているんでしょう。小さい子の指がおかしくなりません~」とは、誰も言いませんよね。
ハポォンという国は、バイクに乗るのはやっぱり偏見の目があるのかもしれませんね。
習い事をさせて、それを将来の職業とする、オリンピックに出る、なんていう目的があるのなら、早く始めて毎日やる、やらせる、はごく普通と黒山ファミリーは考えています。
2台のRTL50Sを手に入れてすかさずフルチューン、まだ一ヶ月くらいですが、雨の日も風の日も、今はまだ日の暮れるのが早いから「午後3時半から午後5時までの1時間半」みっちりと、バイクで走りこみのお稽古。
健一の指導方針で「まだトライアルをやらせるな、とにかくオフロードを走りこませろ、それも早く走らせろ」「そうすると、何も教えなくても身体中の全部を使い始める」との稽古方針。
うちに今4台あります最新タイプのモンティアルミフレーム自転車、ややほこりをかぶり気味。
山から稽古でヘトヘトになって帰ってきて、遊びで自転車に乗る事はあっても、真剣にはもう自転車の練習をする事はなくなりました。
本人たちも「絶対にオートバイの方が面白い」と、申しております。 動画1
動画2
女子部の皆さんは同じ事を言いました。
「教えてくれる人、言う人言う人、皆、違う事を言う」でして、うちは教えられるのが3人いますが、キチンと仕分け役割分担ができています。
・教える人→黒山健一
・メカニック→黒山二郎
・どっちもやるスペア人物→黒山一郎
「船頭多くして、舟、山に登る」のことわざがありますが、こうならないように注意ですね。
本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫
飛ぶ鳥落とす勢いの現役トライアルプロSUZUKIワークスの名倉さんに、単に地方選手権でスカクラス1回勝っただけ、の私が「全日本の早戸川はどうやって行くんすか」なんて、聞いたのの続き。
このSUZUKIの講師の方が、大阪府警の白バイ訓練部外講師としておいでになった時に、名倉さんは現役バリバリのRL250ワークスマシンを持って来ていたの。
今考えると、たとえば大阪府警の若い衆がうちの健一に「黒山さん、そのYAMAHAのバイクにちょっと乗してもらえんですか」のようなものだけど、これを当時、怖いもの知らずで「乗せてみてくれゃあ~」と、横柄な態度で言ったのです。
名倉さん、どう返事をしようかと迷った顔をしておられましたが、上司の伊藤光男さんが「乗せてあげたら」で、しぶしぶ了解していた記憶あり。
市販125の4stしか乗った事がないのに、いきなりギンギンのワークス250の2stでしょう。
ガ~ンっとウィリーをしてエエ格好みせようと軽くアクセルをあけただけなのに、ワークスマシンは見事に股の間から消えて5メートルくらい先まで吹っ飛んで行きました。
はいこれで、当時まだレンサルハンドルなんてなく、モトクロスから流用した鉄ハンドルがひん曲がり、名倉さんが「この野郎~バカが」という顔をしていたのを鮮明に覚えている。
人生初のワークスマシン試乗会は、この一瞬で終わり。
これが、大阪万博跡地駐車場での昼休みの出来事で、その日の夜に歓迎激励の一杯飲み会が、いかがわしくない健全な割烹料亭でありました。
この席で
・早戸川の大会に出たい
・でも、場所はどこなのか
・バイクをどうやって持っていくか(当時は360ccの軽トラックに乗っていた)
等々うんぬんを、昼間の粗相はどこ吹く風で名倉さんに相談ぶって話しかけ。
一杯入った名倉さん、うっとおしそうな顔をしていたところに、上司の伊藤光男さんがまたもや助け舟。
・大会の2日前に浜松のSUZUKI本社に、ヘルメット.ブーツを含めて乗る服装を全部持って来なさい。
・バイクは名倉君のスペアバイクRL250を用意しておくから、それに乗って大会に出なさい。
・メカのことについて分からないだろうから、一人メカをつけるから心配するな。
・浜松から神奈川県早戸川会場の往復は、SUZUKIのワークスバンに乗ればいい。
・ホテルもこっちで予約しておく。
んだって。
これがどういう事を意味するか、怖いもの知らずの私は「あ~よかった」と、単純に喜んでOK!!「ありあとあんした~♪」で、スカたん相手にSUZUKIがなんでこんな優遇VIP待遇かなんて考えるはずなし。
35歳で警察やめて世界選手権に挑戦した私の、10年前の25歳なんて「さらにもっとスゴイ性格」だったんでしょうね。
今考えると「恐ろしい~」以外の何ものでもなし。
さてさて、早戸川はどうなったのかなんて、本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫
ガッチ小川や健一や貴久のブラック団は「少年相手」の、鍛え上げチームでした。
多分、日本で初めての試みだと思うけど、まだ「子供でなくて幼児」の、1番の小学2年と2番の幼稚園年長の孫二人に、将来の職業としてのトライアルをスタートさせるに、まずは一番最初に“一郎、健一、二郎”の3人が、雁首そろえてコーチ会議を開きました。
「開きました」と書いていますが、今も練習中や練習後に「話し合い」というレベルではないけれども、必ず「今日の反省と今後はこうしていこう」の、確認の話し合いはしています。
まあ、どのスポーツでも頂点を目指す、のに「コーチ会議」はあってやって当たり前ですよね。
「やらしときゃうまくなる」で、あんたうまくなりました??、ならんでしょうが・・・ということです。
もう一人3番の幼稚園年小さんもあとに控えているんで、過去に「成田兄弟」「岸下兄弟」「宮下兄弟」「永久保兄弟」と兄弟二人同時に全日本を走ったのはいるんだけど、さて兄弟3人になりますとどうなります事やら。
健一が申しますには
・野球でいうと、お父さんは高校野球までの指導者としては優秀だから、まずはお父さんのやり方でいこう。
・技術テクニック的に高校野球のレベルを超えてきたら、プロ球団に預けた方がいい。
これをもっとわかりやすく言うと
・国際A級まではファミリー家族でやれるからやろう。
・世界も日本も、チャンピオンを目指すレベルに上がってきて、実際に狙うようになると「家族では無理」で、メーカーのレース専門部署に預けて、もっと上に引き上げてもらおう。
ですね。
というようなレベルの高いお話を「民間人皆様」にしたところで、他山の石、対岸の火事、馬の耳に念仏で参考になるはずも意味もなし。
だから以下は、すかトライアルの入門参考になればと思うレベルに内容を下げてのお話解説にしますから、参考にしてくださいね。
スカタンもスカタンの女性を8人集めてやった女子部の経験から「トライアルを初めてやる」と、始めは「こういう事をしよる」のが、よぉ~く分かっているの。
で、実際のところ孫二人を同時に初めて入門トライアルやらしたら女子部と同じで、何にも言わなきゃ「こういう事しよる」のは、まったく同じ事をしよる。
コーチ会議を開き、以下の方針。
・おかしな事をやっても、乗っとけばそのうちなおる→そのまま放置
・おかしな事をやり始めて、変な癖がついてしまうとなかなかなおらない→強制的にやらさない
・当然やらないと、トライアルにならない事をしない→強制的にやらせる
この意味は、次に続く動画でご説明申し上げる。
おのおの方、よぉ~く見て解説を聞いて参考になされよ。
単に「マゴかわいさのジジばか、やんか」とお思いの貴兄は、それはそれでいいのだ。
本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫
まったく同じセクションを作って、1番と2番に走らせます動画(1)と動画(2)と動画(3)を、まずは御覧ください。
この動画を見て「かわいい~♪」で終わりは、そこでストップ、それ以上の進歩はないのです。
この二人の走りの違いが、お分かりでしょうか??
1番の小学2年の陸の走りと、2番の幼稚園年長の陣の走りの違いはこう。
1)全体的な体の動き/ライディングスタイル
「聖地(メッカ)」は、学問でも宗教でもスポーツでも、その事にあこがれてやっている人にとっては、一度は踏んでみたい憧れの地です。
その昔のグループサウンズのゴダイゴという肥満体型の兄ちゃん達が歌った「ガンダーラ~♪」は、インド(中国名/天竺/てんじく)にある仏教の聖地.地方の名前。
中国からこのガンダーラに旅するお話が、三蔵法師ひきいる孫悟空の物語なわけ。
中東シナイ半島の、エルサレム旧市街の2キロ半径の中に「イスラム教.ユダヤ教.キリスト教」の三大聖地があるから、これがややこしくて有史以前からいまも続くもめ事の原点。
天理教は、その名の通り天理市だし、エホバの証人は神奈川県の海老名市で、創価学会は東京新宿区が聖地。
柔道の聖地は東京の講道館ですが、さて、トライアルの聖地はどこでしょうか。
関東の真壁は歴史はあるけど、聖地と呼ぶには少し狭すぎるし、関西にあった生駒テックはいいけど、もうない。
私がトライアルを始めた時代は「早戸川」が、名実ともに憧れの貫禄ある聖地でした。
当時はDVDどころかビデオも数少ない時代で、オートバイ.モータサイクル.サイクルサウンズ.ミスターバイク.オートヤング等々のバイク専門誌に載る早戸川の写真を見て、高校時代に始めてアメリカの男性雑誌プレイボーイを見て興奮していたのと、同じ感覚で興奮していたのを覚えてる。
何日だったか忘れたけど、11月全日本の2日前の金曜の午前9時に360ccの軽トラに乗って大阪から浜松のSUZUKI本社へ。
軽ワンボクスで朝に浜松に届こうと思えば、昨夜に出て深夜に浜名湖インター到着し、寝酒をあおって前夜は車中泊。
SUZUKI指導員の方から聞いていた、絶世の美女受付嬢の「合曽良子(あいそよしこ)」さんがいたのでご挨拶。
すぐに「SRS(SUZUKIレーシングサービス)」という場所に連れて行かれ、そこで始めてワークスのRL250とご対面。
マイバイクであるHONDA.バイアルス125と、比べ物にならないくらいの超先鋭的バイクだったけど、何故かサイドスタンドが付いていたんで取り外してもらう。
警察独特の極端なリーンアウトの姿勢で8の字ターンをして、これ見よがしの肩慣らし。
「では行きましょうか」で、今のコースターみたいなのに何台ものバイクを積み込んでライダーとメカの総勢5人で出発。
記憶では、遅い昼メシを食ってから聖地早戸川入りしたんだけど、関西にはない地形ロケーションにびっくり。
早戸川は風光明媚な山中の渓谷がトライアル場ですが、関西に渓谷でトライアルする場所はないの。
これだけでも胸ドキドキなのに、専門誌の中でしか知らない超有名人YAMAHAワークスの高校3年生“神童/木村治夫”の生を見たのにもドキドキ。
関西の乗り方は「激しく体を動かして」乗ります。
田舎のプレスリーの私は、もちろんこの乗り方だし、これがトライアルライディングだと思ってた。
ところが神童/木村治夫は、まったく動かず、股の間でバイクだけを遊ばせるライディングスタイル。
Ossaの魔法使いミックアンドリュースのまな弟子、というふれ込みにあこがれがプラスでドキドキ。
まだ高校3年生のくせに、妙に落ち着きはらった乗り方に、当時も今と変わらぬ肥満体型。
練習のステアケースなんて「登る」んではなくて「激突破壊」って感じ。
「すごい高校生がおるバイ」と思ったのが、時は経ち、今はなんと私と健一と二郎の上司でありお目付役。
二郎なんか、毎日のように健一のワークスバイクの秘密の部分をいじりバラす時、必ず上司木村さんの許可を電話で得ている。
まさか、あの高校3年生の神童/木村治夫が、今、黒山ファミリーとこんな関係になろうとはね。
さあ、高校3年生の頃の神童/木村治夫さんの生を見て知っているのは、今、何人いるでしょうか。
あの頃と今も、動きも体型もまったく変わらないというのもすごいの一言。
「人生がブレていない」という表現が当てはまるのはカッコいいけど、いまだにその体型もぶれていないのは、YSP京葉の大月さんや、エトスデザインの近藤さんのように「インスリン注射器を持ち歩く」ほどの糖尿病だけは、お気をつけくださいね。
YAMAHAが持ち込んだ一品ものの、乗っているワークスマシンに後ろサスペンションが付いてないの。
まあ、今、孫が乗っているRTL50Sと同じくカンチレバー、モノサスと呼ばれる一本サスの原型のバイクだったんだけど、これにもビックリ仰天の助三郎。
会場入りした金曜の午後から練習できて、始めて乗る2st250ccに慣れようと、張り切って岩に飛び乗った途端に行きすぎて向こうに落ちて、川の中にドボンと完全水没。
YAMAHAの高校生木村治夫の生を見たのに感激した以上に、完全水没したRL250をアッという間に復活させたSUZUKIのメカニックの手際のよさにも感激。
「自分のバイクは自分でいじる」と思っていた私には、衝撃的な出来事。
見ているだけで、何にも手を汚さずにまた元に戻ってしまう。
この事が私のメカに関する以後の基本姿勢「ライダーにはメカをやらせるな」で、少年チームブラック団の鉄の掟
・子供は乗るだけ、バイクをいじらせるな親がやれ
・いじらせると、バイクを壊すような豪快な走りをしなくなる
なのである。
この日、金曜の夜は連れ込み旅館みたいな和風宿に行き、警察だったらこんな日の夜は「前祝い、まあ飲め、俺の酒が飲めんのか」のチャンチキ宴会なんだけど、レースが仕事のワークスSUZUKIはただ食べて寝るだけ。
ブーツの中まで濡れてしまったゴム長トライアルブーツのサミーミラーブーツの中に、新聞紙を入れて逆さまにしておくと、朝には不快感なく使えるまでに乾く、のもメカニックに教えてもらった。
それにしても、トップライダー以下全員が「鉄道弘済会で売っている」ような、ゴム長をはいてトライアルしていたのも、古きよき時代である。
さて、いよいよ明日土曜日は、初めての全日本初体験、まだ戦わないけど受付車検と下見。
36年後に、長年の飲酒暴れ飲みがたたって5年生存率40%の食道&胃ガンになるともつゆ知らず、ビールをSUZUKI経費持ちだからと、ガンガン飲んで爆睡なのだ。
本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫
知らない人もいるかもしれない、という勝手な思い込みで、知っている人はしつこいとお思いでしょうが、私め、今をさかのぼること約30年前、17年間奉職した大阪府警を辞して、トライアル世界選手権に2年間フルエントリーしたことがあるの。
フルエントリーって言っても、今ほどはバイクを運ぶ流通機能が楽でなかったんで、両年共に新大陸のアメリカとカナダの二つの大会はパス。
A.その昔、ヨーロッパで天然痘がはやっていた頃、何故か「牛飼い」の人々は天然痘にかかりません。
1)牛の天然痘である牛痘に先にかかっていたから、人の天然痘にかかっても軽くてすむ。
2)これに気づいたイギリス人医師のエドワード.ジェンナーが種痘を開発した。
B.その昔、日本の船乗りは「脚気(かっけ)」に悩まされましたが、ヨーロッパの船乗りに脚気はそうはいませんでした。
1)白米を食べる日本の船乗りと、パンを食べるヨーロッパの船乗りの違いが原因。
2)パンの原料である、麦に含まれるビタミンB1を摂取することで改善した。
C.その昔、結核患者にガンの人がいないか、極端に少ないのに気がついた医師がいた。
1)結核菌がガンの細胞を殺すか増殖させていないのではないかと、その人は研究した。
2)その人の名前は丸山医師で、有名な丸山ワクチンを開発した。
Dその昔も今も、アフリカや中南米のコーヒー農園で劣悪な環境で働く労働者に、ガンになる人が極端に少ないのは事実です。
1)医学的根拠はないけれど、コーヒー会社はこぞって「コーヒーを飲めばガンにならない」と宣伝している。
2)で、ガンの再発を恐れるイチローさんは、コーヒーを飲めばガンの再発を押さえられると信じ、高価なコーヒーメーカーを買ってきてあやつり毎日飲んでいる。
でもね、同じ高校の先輩のあの「健さん」は大のコーヒー好きで1日8杯も飲んでいたそうで、でも結局、ガンで逝ってしまったけどこれはどう説明するの。
最初に買ったコーヒーメーカーは中国製安物1,800円のやつ。で、一念奮発して「自分で最初に蒸らしをして、手動みたいにお湯がクルクル回りながら何回にも分けて自動で出てくる」国産ハリオ社製のを14,000円で買いました。
以前、テレビの「喫茶紹介」で、バイトの素人が入れるよりこの機械のほうが美味いと、この機械を何台も並べて仕事をさせていた番組がありましたほどのコーヒーメーカーです。
ガンが見つかる5年半前までは「休肝日」どころか「休肝時間」がないほど飲んでいた、ビールにワインに焼酎に日本酒にウィスキーを「死にたくない」の一念できっぱりやめ、今は健さんみたいに1日8杯は多いんで、1日5杯までと決めて飲んでいます。
コーヒー生産国世界4位のインドネシアにデモンストレーションに行った経験のある健一に言わせると、インドネシアの野生のジャコウ猫うんこコーヒーが世界で一番美味しいコーヒーだそうで、実際に本場で飲んでみたけど本当に美味しかったそう。
でも、高価だからパッチもんも多くて中国製「どら猫うんこコーヒー」や、フォアグラみたいに「養殖ジャコウ猫うんこコーヒー」もあるそうで、いつかは本物を飲んでみたいですね。
Blog「だまされ日記」復活のイチローさんより
イギリスではスポーツだけでなく芸能でも音楽でも政治でも「3世代頂点が続く」と、サー(Sir)なりナイト(Knight)の叙勲なり栄誉賞号が送られます。
ここではサー(Sir)とナイト(Knight)の違いの説明は、勲章というものの文化が違う日本国民には理解しがたくパスしますが、まあ、女王陛下から名誉あるごほうびをもらえる、と荒っぽく単純に思ってください。
イギリスのトライアルの名門ランプキン家は、1)アーサー→2)マーチン→3)ドギーの3世代世界チャンピオンが続いたとなっていますが、それは周囲やマスコミがそうはやし立てているだけで、当のランプキン家は「アーサーはヨーロッパチャンピオン」であって、まだ3世代世界チャンピオンは続いていない、とドギー自身が申しています。
ドギーには息子がいて、真の3世代世界チャンピオン達成のために今現在鍛え上げているのかは、ヨーロッパのトライアルを終了しているし情報が入ってこないからうちら知らない。
日本では「3世代頂点が続いても」、モータースポーツでは国民栄誉賞どころか勲七等も春か秋の園遊会にも招待されないだろうけど、まあ何はともあれ1)一郎→2)健一と2世代はチャンピオンが続いているので、その歴史を消さないように3世代目をなんとか全日本チャンピオンにとたくらんでいる最中。
王位継承の皇室ではないですが、黒山冠の男系の男子が続いている孫三人を鍛え上げている最中で、トライアルするに山へ行かなきゃまずは始まりません。で、一郎さんは先頭を走ってガキ相手に模範演技をしたり、後ろを走って追い上げ大声で気合を入れたりするのに、今までは娘の乗っていたBeta-Evo250を足がわりに乗っていました。
今年のもてぎ世界選手権使用車のほぼ新車の、シェルコST125がインポーター(輸入元)の秋山さんのご配慮で分けていただき黒山ファミリーに嫁いできたの。
今現在、ちびたちは「トライアルごっこが出来ますよ」のホンダRTL50Sのミニバイクに乗っているけど、もうすぐ近い時期にこの本物のフルサイズ125に乗り換えるの必至だから、一郎さんが山に乗って行って慣らしをしている現況。
こうなると今まで乗っていた娘のBeta-Evo250はお役御免になり「今までご苦労さんでした」と、エンジンを含めて機械的に動く部分をすべてオーバーホールしてグリスアップし、前後フェンダー類も交換して化粧直しをしている最中の一郎さんですね。
「芸は身を助ける」とはよく言ったもので、最終学歴が「大阪府警察学校/柔道部」なくせに趣味で始めたバイクいじり、名古屋風に言うとバイクなぶり、オートバイ屋さんのどこにも働いた務めたことがないくせに、これが出来るんですよ。
「好きこそものの上手なり」の典型ですね。
一郎さんより
昭和30年代、一郎さんの小学生時代は木登りはメジャーな遊びでした。親から注意された事はだた一つ「柿の木ば、いきなり折れるけん注意しとかないけんよ」だけです。柿の枝は「柳に枝折れなし」ではないのです。
うちの工場の目の前には柿の木が生えていて、ご覧の通りの大きさで、木登りには快適です。でも、残念ながら渋柿です。
ガキ一人ならどの枝にぶら下がっても折れたりはしませんが、何人かで同じ枝にぶら下がり、反動をつけるといきなり折れます。この「いきなり折れる」のがいかんのやね。メキメキバキバキと、ゆっくり垂れながら折れてくれればいいんやけど。
先日も3人が一本に同時にぶら下がって「バキッー!!」って折れて3人ともに落ちましたが、下が芝生みたいな雑草の生えた斜面になっていますので、転がって「あ〜痛かった」で終わりです。
でもやっぱり危ないのは危ないので、ぶら下がりそうなの折れそうなの、には補強のロープを上の枝に絡ませて吊り強化対策をしています。
曰く、ぶら下がっても今までみたいに「ビョヨ〜ン」ってならないから面白くないんだって。
でもでも子供は遊びの天才で、この吊り下げ補強麻ロープを使ってターザンしたり、よじ登りでまた遊んでいる。
でもまあ、こうなるよりはマシやろうが、ということで納得させています。
この写真は今年の1月のもので、左の女の子は自宅横のまさに柿の木の枝折れで落ちて肘を骨折、2番の陣は木から落ちてはいませんが、練習中にバイクが竿立ちになって左に倒れてヒビが入ったもの。同じクラスの同級生同士です。
お互いに隣の席同士で、口ではどちらも「きらい」と申しておりますが、さて本心はどうでしょうか。
一郎さんより