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Channel: 一郎のだまされ日記
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お父さん、ヤマハ発動機(株)本社訪問

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何故かお父さん一人でヤマハ発動機(株)の本社に行きました。息子二人は九州で、こっちは静岡で、親子バラバラの方向ですね。

本社にはもちろんのようにショールームと言うには、あまりにも広すぎるコミニュケーションプラザがありまして、そこには歴代レーサーチャンピオンマシンや、四輪.二輪.モーターボート.スノーモービル.ヘリコプター他多種多様が所狭しと並べられています。

この中には当然のように「K.Kuroyama」と名前の入ったTYS250Fがありまして、息子のチャンピオンマシンに並んで記念撮影。お父さんのSUZUKI.RL250Lチャンピオンマシンは「I.Kuroyama」と名前が入って(株)鈴木自動車の同じようなショールームにあるのかしら。

後々の歴代チャンピオンが束になってもかなわない、初代トライアルチャンピオン木村治男さんが駆ったいにしえのTY250Jチャンピオンマシンも当然のようにありまして、ご本人と、のちに2回チャンピオンになりましたお父さんとのツーショットですね。


話は戻りますが、お父さんの2回目はビーミッシュSUZUKIという「半魚人」みたいなマシンだったんでSUZUKIのショールーム展示は無理でしょうけど、1回目は筋金入りのSUZUKI純正RL250Lなんであってもおかしくはないですよね。誰かあるなし知りませんか??

今は息子の力を借りてヤマハのお手伝いをさせていただいていますが、人間誰しも歳をとって実力がなくなると「過去の栄光」にしがみつきYAMAHAの服を着てSUZUKIのお話なんだけど、なにせ、お父さんのチャンピオンなんて’76年と’81年だから、今からすでに30年以上前のお話。

YAMAHAの関係者のおのおの方、広い心で笑ってお許し下さいね。

とにもかくにもいろいろな各社のショールームに行きましたけど、世界で2番目に大きなオートバイメーカーでしょう。いやはや2時間は見るだけであっという間に過ぎましたヤマハ発動機(株)コミニュケーションプラザでした。

イチローより


1月3日(土)/ 工場の音響システム

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普通、どこの町工場や自動車修理工場に行ってもたいていの場合、雰囲気をなごませる“ミュージック”は鳴っていますよね。まあ、音質は問わず「鳴っていればいい」レベルですけどね。

ほとんどの場合、FM放送です。大阪府池田市にあるスクーター専門店のアンクルトムって関西にしては“ナウイ”感じのブティック風のお店は、奥さんの趣味がよろしいようで音質の良い「有線放送」です。

京都/亀岡トライアルランドの工場には音楽どころか冷蔵庫もなくて“質実剛健威風堂々”の、まるで日本体育大学みたいな工場。工場長の森浩二郎さんが「音楽はきらい」「そんなに飲み物は飲まない」だそうなのがその理由。

亀岡トライアルランド→ http://www.kameokatrialland.co.jp

うちの工場には“ミュージック”はあります。それも私の青春時代に一時代を謳歌した「BOSE(ボーズ)」です。この音響システムは出た当時は40万円くらいするしろもので、作られた人工の重低音という批判はありますが、とにもかくにもその凄まじい低音には圧倒されたものですね。

BOSEジャパン→ http://www.bose.co.jp

BOSE(ボーズ)という名前は、人の名前です。正しくは“アマー.G.ボーズ”という、インド人の父親を持つアメリカ人でマサチューセッツ工科大学の電子工学の博士です。

室内で聞いた音楽会の生の音と、当時のステレオの再生装置の音の違いに愕然とし「よおし俺が本物の音を出す」となったのがスタート。



我が工場のBOSEがこれで音質は今でも十分に通用しますが、AMとFMのチューナー機能が難点。うちの工場のロケーションは電波の入りにくい地帯で、TVは周囲皆さんも、もちろんうちも「有線TV」でないと映りません。

BOSE内蔵のチューナー機能はあきらめ捨てて、単に音響再生装置のみにしチューナー機能は感度のいいのに別付けしています。



BOSEにはとうぜん内蔵アンテナもあるのですが、これも同じく捨てて感度のいいアンテナを取り付けています。

各局放送のアンテナが乱立している大阪の生駒山が見えるロケーションだったらこんなの必要ないんだけど、うちは必要ないどころか、よいチューナーとよいアンテナをつけないとBOSEは音を出してはくれません。本体内蔵のを使うと、NHKは入りますが「ステレオランプ」も灯かずに「モノラル放送」。

とまあ、たわいのないお話から始まった’15年始めの“イチローからのBLOG”なのである。

1月28日(木) <女子部のこと>

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例えばの話です。

澤穂希はもう引退宣言をしたけど、「女子サッカー選手全員が妊娠した」とします。
妊娠が判明した時点で、以後、選手として使いものにならず、妊婦となった選手は全員総入れ替えせざるをえません。
極論を言えば、おめでたい事なんだけど、スポーツの世界では「チームの存在が一瞬にしてゼロ」になってしまいますね。

宝塚とかAKBやモー娘は、すべて恋愛禁止で、男がいるのが発覚したら、即退団です。
恋愛→即妊娠なぁんて事はないでしょうが、ようするに「女が事を成すに、男はじゃま」という事でしょう。

反対に「男子サッカー選手全員の奥さんか恋人が妊娠した」とします。
たとえこうなっても、男の場合は何の影響もなく、逆に「子供ができるんだから、より父親としても自覚を持って練習せい」と、ハッパをかけられてしまいます。

「嫁や恋人に尻を叩かれる」という言葉があるように、男が事を成す、には女性の力がパワーの源は間違いありません。

男であれ女であれ、本職であれ趣味であれ「事を成す」には、長い年月がかかります。
男は「趣味の生涯スポーツ」として、お仕事がどうあれ自分の意思で継続的に長く続けられますが、女性の場合で適齢妙齢期の場合は「結婚.妊娠.出産.育児」がありまして、途中お休み中断から逃れられません。

うちの娘みたいに独身はいいとして、ご結婚なされている方がトライアルを趣味として長く続けるためには

・子供を産んでからトライアルをやる
・トライアルに区切りをつけてから子供を産む
・子供は作らない

のどれかです。

女子部期間中に結婚なされたのが3人いて、うち一人のお方が女子部期間中に妊娠.出産なさいました。


「早く産みあげて、子供といっしょにトライアルしたい」という願いから、入部期間中の1年強はお休みをいたしましたが、この通り無事出産後、早々と赤ちゃんを実父に預けて近畿選手権に再起復活。

ラップごとにお乳をあげるという強行軍でしたが、国内B級ドベにはならず、情けない男どもに後塵を浴びせました。

もう一人の、お子さんのいる女傑の場合。

中国選手権最終戦原滝山大会、「7位以内で国内A級昇格」という勝負の大雨の大会で、なんと3位に入って、まず絶対に無理と言われた国内A級昇格を、見事に果たした自称オバちゃんライダー。


「子供を産んでからトライアルをやる」になるにはなるのですが、そのレベルが超越していて、この時点で22歳の娘さんがいますので、女というか母親の責任を果たして何の心配もなく今はトライアル一本道。

旦那さんも国際B級で、まさにご夫婦でトライアル三昧ですが、早くに子供を産みあげてしまうのも「趣味を長く続ける」ための、ひとつの方法論。

いやはや、いろんなことのお勉強をさせていただいた女子部でしたね。
   

1月29日(金) SUZUKIねたの続きぃ〜

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今から45年前、ロード.モトクロスに続く第3のモータースポーツとして、トライアルが日本に入ってきたの。
入ってきたいきさつ政治的なことはさておき、HONDAはTLで成田省造さん.万沢康夫さん.西山俊樹さん、YAMAHAはTYで木村治夫さん、SUZUKIはRTLで名倉直さん、KawasakiはKTで加藤文博さん、各ワークスライダー面々を揃えての大バトル。

この4メーカーのバトルのいきさつはまた別の機会に~♪

で、何故、不祥私めが一番最初にSUZUKIに乗ったのか??
そして、なぜ現職白バイ警察官が「ワークスマシンに乗って」2回も全日本チャンピオンになれたのか??

さて・・・・話は43年前に戻りましょう。

白バイ全国大会訓練の一つの種目として、日本に入ってきたばかりのトライアルが採用され、新訓練隊員全員がトライアルをやらされます。
これも当時発売されたばかりの「HONDA.TL125を売りたい」という政治的な部分があるだろうけど、ここではその話はパス。

通天閣のある浪速警察署の“ジャンジャン横丁交番所のおまわりさん”から、本部交通機動隊へ転勤になり、はれて白バイ隊員になりました。これが25歳の時。

新隊員は訓練の一環として公用車のTL125に乗って訓練を受けるんだけど、これが5台を回し乗りだもんでけっこうボロボロ。
同じTL125なら、自分で買ったマイバイクで訓練を受けてもいい、というんで新車のTL125を買います。


戦うバイクを手に入れたら「大会に出て腕試しをしたい」はしごく当然の成りゆきで、大会に出るんだったら白バイ全国大会のある鈴鹿サーキットである大会に出てみよう、も自然の成りゆき。
で、昔で言うノービスクラス、今で言う国内B級クラスで出て「初戦いきなり1位優勝」。

この時に出ていて全国的に今でも有名人なのは、「ミタニのひげ親父こと三谷正次さんと、自転車のモンティ輸入元の平野博さん」ですね。
当時はクラス分けが二つしかなくて“エキスパートとノービス”で、お二人ともにエキスパートクラスだったし、すごくうまかった記憶あり。

専門学校の生徒はほとんどが卒業しますと、それぞれの専門のお店なりに職を得て、そこへ就職していきます。
ですが、学校も認める優秀なのは卒業しても学校が手放さず、そのまま残して先生の見習いをさせたりして、さらに専門的な勉強をさせ、自分ところの学校の為に居残らせるのが普通のやり方。

大阪デザイナー学園と関西経理専門学校を卒業して、そのまま学校に残らされたのを二人知っていますが、とても優秀で頭のいい方ですね。二人とも、当然のようにその学校の講師になられています。

白バイ隊員になって本部で三ヶ月間の訓練を受けたのち、全員が各地方の分駐所に配属されて交通取り締まりなんかの「本物の白バイ隊員」に育っていきます。
ですが、私の場合「黒山巡査、お前は取り締まりなんかせんでいいから、このまま訓練班に残って、全国大会の選手養成の方へ進め」でした。

元国際スーパーA級の西本良太選手は千葉県警へと進みましたが、まさに私と同じ道を歩んでいますね。
同じく元国際A級の宮本龍馬選手は大阪府警へと進みましたが、おそらく同じ道を歩むと思います。

大月ヤマハの秘蔵っ子、現在、千葉県警の西元良太巡査です。
私の持つ白バイ全国大会初出場、個人総合2位という記録は残念ながら抜けませんでした。


真ん中が、現在、大阪府警察官の宮本竜馬巡査で、不肖、私めの後輩です。
まだ交番所勤務ですが、近い将来、交機隊白バイ転勤は間違いなし。


今は白バイ大会の歴史が43回目と古いから、各都道府県の交通機動隊も古かぶ経験者が多いので、指導する警察官先輩に事欠かないでしょう。
大阪府警の現在の訓練係りの係長(警部補)は、現役の国際A級で過去に北海道大会を含めて全日本全戦フルエントリーという勲章を持ち、白バイ大会も個人総合3位の経歴の持ち主。

今のどのスポーツ界も「教える方が、まだ生徒よりもうまい」という、指導者側の悩みの典型ですよ。

でも、私の時代はまだ第6回大会を目指してやっていた時代で、先輩白バイ隊員が後輩を指導をしようにも、その先輩も現役という時代。
ライバルの後輩に誰が教えるか~、ですよ。

こうなると「部外講師」にお願いするのが普通で、白バイといえばHONDAなんですが、なぜかSUZUKIの講師の方がおいでになり、私にとって初めてプロレーサー講師との出会いです。

本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫

1月31日(日) SUZUKIねたの続きぃ〜

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白バイ全国大会に向けて訓練期間中に出たトライアルの大会は、新車のHONDA.TL125を買って腕試しに出た鈴鹿サーキットでのスカクラス1位のみ。
以後は、ひたすらその年の白バイ全国大会目指して近代五種競技と同じく、以下の五種目の訓練に励んだの。

(1)スラローム → 自動車試験場みたいなコースをクルクル一人ずつ走ってタイムを競う
(2)不整地走行 → TL125でモトクロスコースを一人ずつ走ってタイムを競う
(3)トライアル → 今の私たちがやっているトライアルとほぼ同じ
(4)速度感覚 → 鈴鹿サーキットのショートコースを、指定された決められた時間で白バイで一周して、そのタイム誤差を競う
(5)目測 → 30秒間隔で10台の車が走ります。その1台ずつの・速度・色・乗車人員・ナンバーをメモして正誤を競う

結果、(1)のスラロームは3位、(2)不整地走行は1位、(3)のトライアルは2位、(4)の速度感覚は5位、(5)の目測は7位の、個人総合2位だった。

当時の記録を見ると、以下の通り。

第6回1974年   
(一部)
1位 福 岡
2位 大 阪
3位 警視庁

(二部)
1位 三 重
2位 岩 手
3位 滋 賀

(個人)
1位/福 岡 久保井弘陽 2位/大 阪 黒山一郎 3位/福 岡 蒋野一利

個人総合1位の白バイ日本一は福岡県警の久保井さんという方で、以後、九州から白バイ日本一が出ていないから、この久保井さんが未だに九州の県警ではただ一人の白バイ日本一記録保持者という次第。

個人総合3位は同じく福岡県警の菰野さんという方で、私も福岡県出身なんでこの年の1.2.3は全員福岡県出身者だった。

蛇足ですが、1位の久保井さんは食道咽頭ガンで“ノドの部分”を取ってしまい、2位の私は“食道と胃”を取ってしまい、3位の菰野さんは“大腸ガン”という結末。

毎年、白バイ全国大会に向けて訓練にお励みの全国の若き警察官貴兄、あんまり入れ込んで訓練にお励みになりますと、必ずやガンに見舞われますのでガン保険にお入りになるのが肝要なり。

話は前後します・・・・。

白バイ訓練中にMFJ(モータースポーツの親分組織)から、一通の案内が来ました。
「中部選手権で20点獲得したから、11月の第2回全日本(神奈川県早戸川)選手権大会のノービスクラス出場資格がある → 出るか出ないか、返事せよ」なんだって。

記憶では、まだ8月頃で「へぇ~こんなんあるんだ。早戸川ってどこなん」で終わり、白バイ訓練の方へ集中。

そうこうしていると、SUZUKIから4人の部外講師の方がおいでになり、指導を受けます。
そのうちのお二人は単におしゃべりだけの担当でしたが、オンロード乗車担当がマン島TTレース50cc日本人初優勝の伊藤光男さんで、オフロード乗車担当が現役のモトクロスセニア(今の国際スーパーA級)ライダーで、なおかつトライアルもSUZUKIワークスの昨年のエキスパートゼッケン5の名倉直さん。

この指導を受けている期間中に

・名倉さんってトライアルやってるそうですが、11月にやるトライアルの全国大会に出るんっすか
・自分も出る権利があるんすよ、出る出ない、なんていう招待状が来てるっすけど、出てやろうと思ってるんすよ。
・早戸川ってどこっすか

なんて、バイクのふるさと老舗の浜松もんに、警官がなめられたらいかんので関東弁で聞く。
まあ、SUZUKI講師陣の方々も、デビューした頃の小川つよぽんと同じで「若いのは生意気くらいでちょうどいい」と、お許しいただいたような気がする。

現役バリバリのトライアル超一流ライダー相手に、バカな質問をしたのがそもそもの私のトライアル人生の始まりだったとは・・・、そして警察官まで辞めてしまうとは・・・。

これが25歳の時でしょう。今、67歳だから以後42年の長きにわたりトライアル人生、というよりも、孫3人が引き続いてやりそうで、死ぬまでトライアル道一本で「私のトライアルは死なないと終わらない」のは確実模様。

女子部の8人とは「死んで向こうで会ったら夫婦になろう」の約束ができていているから、向こうで女さがしをしなくていいから安心である。

本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫

2月4日(木) 孫かわいさの、じじバカのブログ

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「毎日、バイクに乗せているんでしょう。危なくないですかぁ~」なんて、うちの事情を知っている宅配の方なんかによく言われます。
「毎日、ピアノの練習させているんでしょう。小さい子の指がおかしくなりません~」とは、誰も言いませんよね。
ハポォンという国は、バイクに乗るのはやっぱり偏見の目があるのかもしれませんね。

習い事をさせて、それを将来の職業とする、オリンピックに出る、なんていう目的があるのなら、早く始めて毎日やる、やらせる、はごく普通と黒山ファミリーは考えています。

2台のRTL50Sを手に入れてすかさずフルチューン、まだ一ヶ月くらいですが、雨の日も風の日も、今はまだ日の暮れるのが早いから「午後3時半から午後5時までの1時間半」みっちりと、バイクで走りこみのお稽古。

健一の指導方針で「まだトライアルをやらせるな、とにかくオフロードを走りこませろ、それも早く走らせろ」「そうすると、何も教えなくても身体中の全部を使い始める」との稽古方針。

うちに今4台あります最新タイプのモンティアルミフレーム自転車、ややほこりをかぶり気味。
山から稽古でヘトヘトになって帰ってきて、遊びで自転車に乗る事はあっても、真剣にはもう自転車の練習をする事はなくなりました。

本人たちも「絶対にオートバイの方が面白い」と、申しております。

動画1
 動画2

女子部の皆さんは同じ事を言いました。
「教えてくれる人、言う人言う人、皆、違う事を言う」でして、うちは教えられるのが3人いますが、キチンと仕分け役割分担ができています。

・教える人→黒山健一
・メカニック→黒山二郎
・どっちもやるスペア人物→黒山一郎

「船頭多くして、舟、山に登る」のことわざがありますが、こうならないように注意ですね。

本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫

2月5日(金)SUZUKIねたの続き〜

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飛ぶ鳥落とす勢いの現役トライアルプロSUZUKIワークスの名倉さんに、単に地方選手権でスカクラス1回勝っただけ、の私が「全日本の早戸川はどうやって行くんすか」なんて、聞いたのの続き。

このSUZUKIの講師の方が、大阪府警の白バイ訓練部外講師としておいでになった時に、名倉さんは現役バリバリのRL250ワークスマシンを持って来ていたの。
今考えると、たとえば大阪府警の若い衆がうちの健一に「黒山さん、そのYAMAHAのバイクにちょっと乗してもらえんですか」のようなものだけど、これを当時、怖いもの知らずで「乗せてみてくれゃあ~」と、横柄な態度で言ったのです。

名倉さん、どう返事をしようかと迷った顔をしておられましたが、上司の伊藤光男さんが「乗せてあげたら」で、しぶしぶ了解していた記憶あり。

市販125の4stしか乗った事がないのに、いきなりギンギンのワークス250の2stでしょう。
ガ~ンっとウィリーをしてエエ格好みせようと軽くアクセルをあけただけなのに、ワークスマシンは見事に股の間から消えて5メートルくらい先まで吹っ飛んで行きました。
はいこれで、当時まだレンサルハンドルなんてなく、モトクロスから流用した鉄ハンドルがひん曲がり、名倉さんが「この野郎~バカが」という顔をしていたのを鮮明に覚えている。

人生初のワークスマシン試乗会は、この一瞬で終わり。
これが、大阪万博跡地駐車場での昼休みの出来事で、その日の夜に歓迎激励の一杯飲み会が、いかがわしくない健全な割烹料亭でありました。
この席で

・早戸川の大会に出たい
・でも、場所はどこなのか
・バイクをどうやって持っていくか(当時は360ccの軽トラックに乗っていた)

等々うんぬんを、昼間の粗相はどこ吹く風で名倉さんに相談ぶって話しかけ。
一杯入った名倉さん、うっとおしそうな顔をしていたところに、上司の伊藤光男さんがまたもや助け舟。

・大会の2日前に浜松のSUZUKI本社に、ヘルメット.ブーツを含めて乗る服装を全部持って来なさい。
・バイクは名倉君のスペアバイクRL250を用意しておくから、それに乗って大会に出なさい。
・メカのことについて分からないだろうから、一人メカをつけるから心配するな。
・浜松から神奈川県早戸川会場の往復は、SUZUKIのワークスバンに乗ればいい。
・ホテルもこっちで予約しておく。

んだって。

これがどういう事を意味するか、怖いもの知らずの私は「あ~よかった」と、単純に喜んでOK!!「ありあとあんした~♪」で、スカたん相手にSUZUKIがなんでこんな優遇VIP待遇かなんて考えるはずなし。

35歳で警察やめて世界選手権に挑戦した私の、10年前の25歳なんて「さらにもっとスゴイ性格」だったんでしょうね。
今考えると「恐ろしい~」以外の何ものでもなし。

さてさて、早戸川はどうなったのかなんて、本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫


2月7日(日) スクール的ブログと動画の1回目

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ガッチ小川や健一や貴久のブラック団は「少年相手」の、鍛え上げチームでした。

多分、日本で初めての試みだと思うけど、まだ「子供でなくて幼児」の、1番の小学2年と2番の幼稚園年長の孫二人に、将来の職業としてのトライアルをスタートさせるに、まずは一番最初に“一郎、健一、二郎”の3人が、雁首そろえてコーチ会議を開きました。

「開きました」と書いていますが、今も練習中や練習後に「話し合い」というレベルではないけれども、必ず「今日の反省と今後はこうしていこう」の、確認の話し合いはしています。

まあ、どのスポーツでも頂点を目指す、のに「コーチ会議」はあってやって当たり前ですよね。
「やらしときゃうまくなる」で、あんたうまくなりました??、ならんでしょうが・・・ということです。

もう一人3番の幼稚園年小さんもあとに控えているんで、過去に「成田兄弟」「岸下兄弟」「宮下兄弟」「永久保兄弟」と兄弟二人同時に全日本を走ったのはいるんだけど、さて兄弟3人になりますとどうなります事やら。

健一が申しますには

・野球でいうと、お父さんは高校野球までの指導者としては優秀だから、まずはお父さんのやり方でいこう。
・技術テクニック的に高校野球のレベルを超えてきたら、プロ球団に預けた方がいい。

これをもっとわかりやすく言うと

・国際A級まではファミリー家族でやれるからやろう。
・世界も日本も、チャンピオンを目指すレベルに上がってきて、実際に狙うようになると「家族では無理」で、メーカーのレース専門部署に預けて、もっと上に引き上げてもらおう。

ですね。

というようなレベルの高いお話を「民間人皆様」にしたところで、他山の石、対岸の火事、馬の耳に念仏で参考になるはずも意味もなし。
だから以下は、すかトライアルの入門参考になればと思うレベルに内容を下げてのお話解説にしますから、参考にしてくださいね。

スカタンもスカタンの女性を8人集めてやった女子部の経験から「トライアルを初めてやる」と、始めは「こういう事をしよる」のが、よぉ~く分かっているの。
で、実際のところ孫二人を同時に初めて入門トライアルやらしたら女子部と同じで、何にも言わなきゃ「こういう事しよる」のは、まったく同じ事をしよる。

コーチ会議を開き、以下の方針。

・おかしな事をやっても、乗っとけばそのうちなおる→そのまま放置
・おかしな事をやり始めて、変な癖がついてしまうとなかなかなおらない→強制的にやらさない
・当然やらないと、トライアルにならない事をしない→強制的にやらせる

この意味は、次に続く動画でご説明申し上げる。
おのおの方、よぉ~く見て解説を聞いて参考になされよ。
単に「マゴかわいさのジジばか、やんか」とお思いの貴兄は、それはそれでいいのだ。

本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫


2月8日(月) スクール的ブログと動画の2回目

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まったく同じセクションを作って、1番と2番に走らせます動画(1)と動画(2)と動画(3)を、まずは御覧ください。

この動画を見て「かわいい~♪」で終わりは、そこでストップ、それ以上の進歩はないのです。
この二人の走りの違いが、お分かりでしょうか??

1番の小学2年の陸の走りと、2番の幼稚園年長の陣の走りの違いはこう。

1)全体的な体の動き/ライディングスタイル


1番の陸は

・全体的にアクセルワークのみで走っており、ボディアクション体の動きはまったくない。
・これはまあ、まだトライアルに慣れていない、立って乗る事に慣れていない、地形に慣れていない、の部分がありますので

おかしな事をやっても、乗っとけばそのうちなおる→そのまま放置

の範ちゅうで、このままやらしておけばそのうち硬さも取れてくるでしょう。
とにかく、まだ動きが硬いですね。


2番の陣は

・“怖がらない”という持って生まれた素晴らしい性格からか、すでに背中が伸びた突っ立ち乗りライディングスタイル。
・路面の凸凹に合わせて体を上下動させているし、イン入ってすぐや、中ほどの登りの手前で、きちんと膝を沈めてリアクッションの伸びに合わせて、動きの遅いうさぎ跳びをしている。

これは大変よろしいので→そのまま放置

2)チェンジをしているか、していないか

私達の時代に「南海の荒法師/和田」というのがいたの。
和田は本人も認める「1速使いの名手」でしたが、やっぱり2速3速も自由自在に操れるようになっていたら、もっと上位に食い込んで私を脅かしていたはず。

女子部にも「チェンジをしないまゆみ嬢」という達人がいて、どこもかしこもどころか、コースを移動するのも「オール1速」で走ります。
だからまゆみだけは60:1の特別混合比、参考までにコースをかっ飛ばすSSDTは50:1なのである。

本人に「なんでチェンジしないの」と聞くと「え~っ、チェンジってするんですかぁ」という、見事なお答え。

トライアルエンジンは「オートマ」ではなく「マニュアル」ですので、その場その場に合わせた適正なギァ位置で走る事は必須項目。
今のエンジンはパワーバンド、使える回転域が広いから2速だけで、1速の領域も3速の領域もこなしてしまいます。
ですが、基本はその場その場を走る一番適正なギアで走る、のがベストだからこの練習をしましょう、という事ですね。

1番の陸は、すべて1速で走っています。

かたや2番の陣は、インは1速で、左ターンした後にすぐに2速にチェンジして、登りを登りきった所の一番危ない難しい所、下りの手前でまた1速に落としています。
よく陣の動画を見ていると分かりますが、2速にチェンジアップする時に「今1速かどうか確認」するために、チェンジペダルを「瞬間一度」踏みつけてから、そして2速にかき上げています。

これは大変よろしいので→そのまま放置

1番の陸は、チェンジをまったくしませんが、これが

-チェンジの意味がわかっていない
-まだチェンジする余裕がない

のかもしれませんが

・当然やらないと、トライアルにならない事をしない→強制的にやらせる

ですので、今後の指導の項目ですね。


動画(3)は、登りで2番陣が失敗して転がり落ちるものですが「危ないことやっとるなぁ~」では、あんたそこまで。
これって、なんでこうなったか分かりますか。

そう、インしてすぐに2速に入れて、登りはもっと高いギアでやってみようと3速にチェンジアップして登ってみたら、登ったはいいけど50cc3馬力しかパワーがなくてバイクが前に進まなくなり、バイクを放り投げて飛び降りたもの。

だから自分から飛び降りてるから、転び落ちるシーンだけを見ると「危ない」のですが、実際は自分で転びにいっている、柔道でいうと投げられにいっている、から何ともないのです。

3)左右のレバー操作

健一がガキ二人に最初に左右のレバー操作のことで教えたのは

・左右ともに人差し指と中指の2本を同時に使う「ピース握り」「Vサイン握り」でやりなさい
・左のクラッチ側は24時間指をレバーの上にかけっぱなしにしておきなさい。使い終わっても、指を元に戻さず、レバーの上に乗せたままにしておきなさい

・前ブレーキの右は、ブーツで踏む後ろブレーキペダルと同じで「使う時だけ指を乗せてやりなさい」「そして、使い終わったら離して、アクセルを全部の指で握ってやりなさいい」

です。

1番の陸は、常に前ブレーキレバーの上に指を乗せていますが、健一に言わせると「それは怖いから、いつでも止まれる保険のため」と申します。

女子部、広島の智恵子嬢は、いくら教えても「右手の指を前ブレーキレバー」から離しません。
理由は「前ブレーキをいつでもかけれる状態にしておかないと不安で走れない」だそうで、これも、智恵子は女子部で生涯なおりません、でしたね。
多分、今でもそうやっていると思う。

・おかしな事をやり始めて、変な癖がついてしまうとなかなかなおらない→強制的にやらさない

ですので、今後の指導の項目ですね。

その点、2番の陣は前ブレーキは「下りで使う時だけ指をかける」ですので→そのまま放置、ですね。

女子部の名古屋の美和嬢、クラッチレバーは24時間指一本でしか操作しません。
うちに来て、指二本のピース握りを教えやらせますが、まったくトライアルになりませんほど、指一本追加しただけで何にもできなくなる。

・おかしな事をやり始めて、変な癖がついてしまうとなかなかなおらない→強制的にやらさない

の指導方針で指導しましたが、コリ固まっていたからすでに時遅しの典型で「癖がつくともうなおらない」の、よい経験をさせていただきました。

4)勝手にラインを変えやがる

2番の陣の動画(2)の最後に、下りで失敗転んでいるでしょう。
兄貴はなんなく下っています。
これって何で転んだか分かりますか。
下りに失敗して転んだわけではないのです。

1番の兄貴陸にライバル意識で対抗しようとして、まっすぐ下るのはもういいから「下ってすぐに右に曲がろう」として、ハンドルが切り込んで失敗して転んでいるのです。

女性は男よりも「言われたことをキチンと守る」習性性格が強いのかもしれませんが、女子部の時に私がセクションを作ってやらせると、何回もクリーンが出ているのに、いつまでも永遠に同じラインを走るのをやめようとしません。

反対に男は「もう、おもろうないわい」と、勝手にせっかく作ったセクションを変えやがる。
ですが、これはこれで成長の証だからいいのである。

(5)今回のおさらい

・おかしな事をやっても、乗っとけばそのうちなおる→そのまま放置
・おかしな事をやり始めて、変な癖がついてしまうとなかなかなおらない→強制的にやらさない
・当然やらないと、トライアルにならない事をしない→強制的にやらせる

これをよく見極めて、今後の指導としてくださいね。
よく見極められない民間人はどうするか。

-それまで、である。
-お金を払って、指導を仰ぐ。

の二つですが、多くのスポーツで頂点まで行った人の両親が普通の人の場合、この「お金を払って、指導を仰ぐ」しかなくて、フィギァスケート浅田真央のお父さんは実入りのいいホストクラブに勤めていたのは誰でも知っている話。

さあお父さん、体を張ってお金を稼いで息子のために使いましょうね~♪

真央のお母さん、心の不安を酒に逃げて肝硬変で、若くしてお亡くなりになりました。
いやはや、スポーツの頂点を極めるのはこれほどに凄まじいものである。

本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫

2月10日(水)SUZUKIねたの続編

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「聖地(メッカ)」は、学問でも宗教でもスポーツでも、その事にあこがれてやっている人にとっては、一度は踏んでみたい憧れの地です。

その昔のグループサウンズのゴダイゴという肥満体型の兄ちゃん達が歌った「ガンダーラ~♪」は、インド(中国名/天竺/てんじく)にある仏教の聖地.地方の名前。
中国からこのガンダーラに旅するお話が、三蔵法師ひきいる孫悟空の物語なわけ。

中東シナイ半島の、エルサレム旧市街の2キロ半径の中に「イスラム教.ユダヤ教.キリスト教」の三大聖地があるから、これがややこしくて有史以前からいまも続くもめ事の原点。

天理教は、その名の通り天理市だし、エホバの証人は神奈川県の海老名市で、創価学会は東京新宿区が聖地。

柔道の聖地は東京の講道館ですが、さて、トライアルの聖地はどこでしょうか。
関東の真壁は歴史はあるけど、聖地と呼ぶには少し狭すぎるし、関西にあった生駒テックはいいけど、もうない。
私がトライアルを始めた時代は「早戸川」が、名実ともに憧れの貫禄ある聖地でした。

当時はDVDどころかビデオも数少ない時代で、オートバイ.モータサイクル.サイクルサウンズ.ミスターバイク.オートヤング等々のバイク専門誌に載る早戸川の写真を見て、高校時代に始めてアメリカの男性雑誌プレイボーイを見て興奮していたのと、同じ感覚で興奮していたのを覚えてる。

何日だったか忘れたけど、11月全日本の2日前の金曜の午前9時に360ccの軽トラに乗って大阪から浜松のSUZUKI本社へ。
軽ワンボクスで朝に浜松に届こうと思えば、昨夜に出て深夜に浜名湖インター到着し、寝酒をあおって前夜は車中泊。

SUZUKI指導員の方から聞いていた、絶世の美女受付嬢の「合曽良子(あいそよしこ)」さんがいたのでご挨拶。
すぐに「SRS(SUZUKIレーシングサービス)」という場所に連れて行かれ、そこで始めてワークスのRL250とご対面。

マイバイクであるHONDA.バイアルス125と、比べ物にならないくらいの超先鋭的バイクだったけど、何故かサイドスタンドが付いていたんで取り外してもらう。

警察独特の極端なリーンアウトの姿勢で8の字ターンをして、これ見よがしの肩慣らし。
「では行きましょうか」で、今のコースターみたいなのに何台ものバイクを積み込んでライダーとメカの総勢5人で出発。
記憶では、遅い昼メシを食ってから聖地早戸川入りしたんだけど、関西にはない地形ロケーションにびっくり。

早戸川は風光明媚な山中の渓谷がトライアル場ですが、関西に渓谷でトライアルする場所はないの。
これだけでも胸ドキドキなのに、専門誌の中でしか知らない超有名人YAMAHAワークスの高校3年生“神童/木村治夫”の生を見たのにもドキドキ。

関西の乗り方は「激しく体を動かして」乗ります。
田舎のプレスリーの私は、もちろんこの乗り方だし、これがトライアルライディングだと思ってた。

ところが神童/木村治夫は、まったく動かず、股の間でバイクだけを遊ばせるライディングスタイル。
Ossaの魔法使いミックアンドリュースのまな弟子、というふれ込みにあこがれがプラスでドキドキ。
まだ高校3年生のくせに、妙に落ち着きはらった乗り方に、当時も今と変わらぬ肥満体型。

練習のステアケースなんて「登る」んではなくて「激突破壊」って感じ。

「すごい高校生がおるバイ」と思ったのが、時は経ち、今はなんと私と健一と二郎の上司でありお目付役。
二郎なんか、毎日のように健一のワークスバイクの秘密の部分をいじりバラす時、必ず上司木村さんの許可を電話で得ている。
まさか、あの高校3年生の神童/木村治夫が、今、黒山ファミリーとこんな関係になろうとはね。

さあ、高校3年生の頃の神童/木村治夫さんの生を見て知っているのは、今、何人いるでしょうか。
あの頃と今も、動きも体型もまったく変わらないというのもすごいの一言。

「人生がブレていない」という表現が当てはまるのはカッコいいけど、いまだにその体型もぶれていないのは、YSP京葉の大月さんや、エトスデザインの近藤さんのように「インスリン注射器を持ち歩く」ほどの糖尿病だけは、お気をつけくださいね。

YAMAHAが持ち込んだ一品ものの、乗っているワークスマシンに後ろサスペンションが付いてないの。
まあ、今、孫が乗っているRTL50Sと同じくカンチレバー、モノサスと呼ばれる一本サスの原型のバイクだったんだけど、これにもビックリ仰天の助三郎。

会場入りした金曜の午後から練習できて、始めて乗る2st250ccに慣れようと、張り切って岩に飛び乗った途端に行きすぎて向こうに落ちて、川の中にドボンと完全水没。

YAMAHAの高校生木村治夫の生を見たのに感激した以上に、完全水没したRL250をアッという間に復活させたSUZUKIのメカニックの手際のよさにも感激。
「自分のバイクは自分でいじる」と思っていた私には、衝撃的な出来事。
見ているだけで、何にも手を汚さずにまた元に戻ってしまう。

この事が私のメカに関する以後の基本姿勢「ライダーにはメカをやらせるな」で、少年チームブラック団の鉄の掟

・子供は乗るだけ、バイクをいじらせるな親がやれ
・いじらせると、バイクを壊すような豪快な走りをしなくなる

なのである。

この日、金曜の夜は連れ込み旅館みたいな和風宿に行き、警察だったらこんな日の夜は「前祝い、まあ飲め、俺の酒が飲めんのか」のチャンチキ宴会なんだけど、レースが仕事のワークスSUZUKIはただ食べて寝るだけ。

ブーツの中まで濡れてしまったゴム長トライアルブーツのサミーミラーブーツの中に、新聞紙を入れて逆さまにしておくと、朝には不快感なく使えるまでに乾く、のもメカニックに教えてもらった。
それにしても、トップライダー以下全員が「鉄道弘済会で売っている」ような、ゴム長をはいてトライアルしていたのも、古きよき時代である。

さて、いよいよ明日土曜日は、初めての全日本初体験、まだ戦わないけど受付車検と下見。
36年後に、長年の飲酒暴れ飲みがたたって5年生存率40%の食道&胃ガンになるともつゆ知らず、ビールをSUZUKI経費持ちだからと、ガンガン飲んで爆睡なのだ。

本日はここまででおしまい、また明日には書けるかな~♫

2月21日(日)SUZUKIねたの続編

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知らない人もいるかもしれない、という勝手な思い込みで、知っている人はしつこいとお思いでしょうが、私め、今をさかのぼること約30年前、17年間奉職した大阪府警を辞して、トライアル世界選手権に2年間フルエントリーしたことがあるの。


フルエントリーって言っても、今ほどはバイクを運ぶ流通機能が楽でなかったんで、両年共に新大陸のアメリカとカナダの二つの大会はパス。

それと、両年ともにトライアルの母/源流と言われている、念願だったイギリス.スコットランでのSSDT(スコッティシュ6日間トライアル)にも出場をいたしたのである。

1年めに出た初戦の第一戦スペイン.モンマジョル大会は、今でも地図なしで行けるし、第一セクションの地形もはっきり覚えている。
この始めての世界選手権第1戦第一セクション、はい、以後もこのオンパレードが続くバタバタの3点でした。

2年めの最終戦、自分なりに「2年間は何があっても世界選手権は走る」と決めていたスウェーデン.ヘレホース大会、この最後の2ラップ目の第15セクションも地形ははっきりと覚えている。

私の前を走ったパスカル.クトリエがクリーンで、私は定番のバタバタの3点。
アウトして背の高いスウェーデン人から、3点のパンチカードを入れてもらった瞬間

「あ~俺の自分のトライアルは終わった」

って、自分自身のトライアルの終了にケジメをつけたのを覚えてる。
この瞬間、自分の夢は「世界選手権を走る」だったけど、夢をかなえ次は「息子を世界チャンピオンに」ではなくて「息子にも世界選手権を走らせよう」だった記憶あり。



この、健一を連れて世界を走った2年間の事は、たいがいのことすべて、30年以上たった今でもよく覚えています。
「苦労をしたから、よく覚えている」ではなくて、「勝負をしにいっていなかったから、よく覚えている」の方が、正しいと思う。
本当に苦労したのなら、生活や苦労に溺れて、逆に覚えていないと思う。


同じように2回出たSSDTも、1回目はエンジンバラ方面から、2回目はグラスゴー方面から行ったのや、厳格な車検しか生きがいがなさそうなおじいさんのやる車検や、「30セクション×1ラップ×6日間=180セクション」もだいたい覚えてる。


「人命は地球よりも重い」なんて理想をこいて多くのテロリストを世界中にばらまいた首相の、その息子の方の福田首相は退陣時に「私は客観的にものを見ることができるんですよ」の名言を吐いてひんしゅくをかってた。


“客観的”とは、客がついているように「お客さんの立場でものを見る」「他人事のようにものを見る」ことを言うの。
反対語は“主観的”で、主がついているように「自分の考えはこうだ」ですね。


私の世界選手権&SSDT挑戦、成績がかかっていないから“客観的”にものを見ることができたから、よく覚えているのかもしれない。


さて本題に戻り、36年前に聖地/早戸川で出た初めての全日本、実はほとんど覚えていないのです。
今考えると“主観的”に、ものを見ていたような気がする。


大会前々日の金曜まではけっこう記憶が正しくあるのですが、真剣モードに入った土曜と日曜はほとんどなし。
でも、ポツリポツリとある断片的な記憶は以下のとおり。
怪しげな記憶だから、間違っていても「主観的に自分がそう思っている」のだからゴメンね。


以下、次回に続く~♪


⚫第1セクションは大混み
⚫神童/木村治夫は3セクションまで連続5点
⚫前日の夜に上流で降った雨で増水
⚫1ラップ終わって時間がなくて大あわて
⚫持ち時間が追加になったけど知らない
⚫西山俊樹さんが1万円札を持って抗議
⚫近藤さんが勝って、伊吹も勝ってヤマハ圧勝
⚫自分は5位か7位か覚えていない
⚫使ったRL250Lをそのまま持って帰る
⚫交機隊駐車場で仮眠して出勤

第1セクションは大混み

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⚫第1セクションは大混み

早戸川、中洲の広い河原のど真ん中にテントを何幕も張って大会本部にしていた。今と違って、うまいエキスパートクラスが先にスタートで、うちらスカはそのあとスタート。

関西はあんまりそんな話は聞かないけど「そこの河原は雨はふっていないけど、川の上流で雨がふってしもは大増水」は、関東の渓谷の川はごく普通だそう。

スタートして第一セクションへは河原の上流の方に行くんだけど、まずは最初の難関は「昨日はなんでもなかったチョロチョロ小川」が、もう激流に大変身。この激流を渡らないと第一セクションへは行けません。
向こう岸を見たら、渡りきったけど何台ものバイクが水を吸ったらしく、バイクを真っ逆さまにしているのや、キャブレターとエアクリーナーを外して水抜き必死こき状態が5台以上。

冷静に見てみると、横渡りや上流に向かって横切るのでなくて、上から下へ斜めに流れに逆らわずに渡ればなんとか渡れそうなので、そうやると簡単に渡れた。
それと、SUZUKI/RL250は車高が高くて、エアクリーナー入り口も高い位置にあるのもよかったみたい。
だって、テストして作った人がエゲレス人190センチ近いゴードン.ファーレーでしょう。ちまたでいう、バッタマシンなんて発想外。

こっちは163センチで、警察採用体格試験ギリギリ合格(男は162センチで女は158センチ)の身長のうえ、団塊の世代独特の胴長短足でしょう。
でも、トライアルって足をつかなきゃいいスポーツなんで、足の長さなんて関係ない、と思っていたから幸せ能天気ですね。

第1セクションに着いてみると、もう混んでいるレベルではなくて50人以上が順番に並んでイン待ち状態で、当時は採点カードをオブザーバーに渡して順番を待つシステム。
並ぶ、のではなくて、呼ばれたら走る、という考え方が正しい。

オブザーバーに採点カードを渡すと、オブザーバーは100万円の札束の倍、200万円くらいの厚さの採点カードを持っていて、こっちのカードを一番下に入れよる。
「あっ、これは1時間以上かかかる」と本能的に思い、ゆっくり余裕の下見。

たとえいくら混んでいても、オブザーバーが何人もいて「回転を早く」すれば、いいの。だけど、いくら並んでいても前へはちっとも進まず。
この第一セクションの時間がかかった理由は簡単で「途中で止まったら、出て行くのに最後まで走りきらないと出られない構造なので、クリーンであろうが5点であろうが、全員がセクションをインからアウトまで走る必要がある」ため。
途中で止まって、そこから横へは物理的に逃げられない地形なの。

あげくに当時のトライアルは、イギリスSSDTの考え方「何があっても人の手を借りずに自分一人でやり抜く」のが男道トライアルだから、岩の間にはまり込んだバイクを一人で引き抜くのに時間がかかっていた。オブザーバーは見ているだけで、手伝っていない。

今の大会の第一セクションは「体慣らし」的に、割と簡単なのを作るけど、混んだ理由んもうひとつに、この第一セクションは手強かった記憶あり。
ほんとんどのライダーが一番奥のややこしいところで「岩の間にはまり込んで、引っこ抜こうとのたうち回っていた」のも、また記憶あり。
私が着いた時には、まだ上のクラスのエキスパートライダーが走ってた。

⚫神童/木村治夫は3セクションまで連続5点

第一を走るまで待ち時間1時間以上かかりそうだし、下見をしたってラインは一本で「ねっちょり下見」なんて必要なし。
ラインを覚えて、ハイそれで終わり。

こうなると、次のセクションに行っている「近藤.加藤.木村.万沢.西山.成田」各トップの、見取り稽古に行くのは今回の大会「自分の成績よりも、見たことのないトップの走りを見るのが目的」なんで、当然ですね。
今の私のヤマハの上司のYSP大月さんも出ていたはずなんだけど、まったく記憶なし。

近藤.加藤は関西でいつも見ているし、SSDT帰り御三方の万沢.西山.成田はそうはうまいとは思わなかったんで、関西では見たことのない「股の間でマシンを遊ばせる」ライディングの木村を追いかける。

どっこい木村、出だしの3つのセクション、すべて岩の間にバイクがはまり込んだり落ちたりで連チャン5点。
柔道長いことやっていて「負けたら火が付くくらいにくやしがれ」の教育を受けている身としては、相当にくやしがるかな、って思って見ていたら能面無表情仮面舞踏会。

スポーツで「失敗してもくやしがらない、表情を変えない」のを、初めて知ったのもこの早戸川でした。

前日の夜に上流で降った雨で増水

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⚫前日の夜に上流で降った雨で増水

前回にも書いたけど、私の全日本デビュー戦/第2回全日本選手権早戸川大会は、日頃は温厚で物静かな河原でバーベキュの出来る風光明媚な渓谷なんだけど、これが前夜に上流で降った大雨で大増水。ライダーはいたる所の激流との戦いでもあった大会でもあったの。
確認です、前日も当日も大会中も、現地はまったく雨は降っていません。ですので、会場もテント群も大会主催者もずぶ濡れ、ではありません。

私を含めて箱庭トライアルしか知らない多くの参加ライダーは、上から下まで長い移動距離の各場所に作ってあるセクションまでの移動に、必ず増水した支流というほどではないけど激流の小川を渡らないといけない。
セクションよりも、この激流の小川渡りに相当の時間をとられたのだけど、必死こいた理由は簡単で、沢の渡り方を知らないから。

それはそうで、シートのすぐ下まで水のくる水たまりに入ることの経験もなければ、ましてやそれが足元の見えないゴロゴロ小石の沢の中でしょう。こんなん、練習でありえるはずがなし。

今のトライアルをやるに「渓谷の練習場」ってあるのかしら。今年の九州熊本大会は「八谷渓谷」ってなっているけど、V字の谷というか山の下の沢の山小屋ロッジのあるキャンプ場ロケーションで、けして川ではなくてその名の通り「沢」というのが正しい。

ヨーロッパの人が申しますには「日本の川はまるで滝だ」が、見事に言い当てていて、ヨーロッパの川はまるで湖のごとく静かですね。
ドイツのライン川もオーストリアのドナウ川も、見た目、まったく流れていません。
だからあんた、日本みたいに渓流にいるピチピチした生きのいい魚なんていなくて、ナマズみたいなのしかいませんね。
なんで、魚の食文化は発展せずに肉食文化になったのかもしれない。

⚫1ラップ終わって時間がなくて大あわて

「15セクション×2ラップ×6時間」だったと記憶しているけど、1ラップ終わってパドックに帰ってきてみると、残り時間は1時間半くらい。
どこもかしこもセクションが混んでいたあげくに、広い河原のあちこちにある激流の小川が立ちはだかるのが原因。

ガソリンをあたふたとこぼしながら一気に入れて、2ラップ目の第1セクションにかっ飛ばして行ったのを覚えてる。
他の皆さん、すべて全員「時間がなくて、あわててのたうち回っていた」のは、右にならえで皆同じ。

⚫持ち時間が追加延長になったけど知らない

本当のところは、いつの時間かタイミングからか分からないけど、大会本部が「誰かが1ラップ終わった時点」で「持ち時間の延長」をしていた。
多くの多くの、思うにほとんどの参加ライダーはこのことを知らずに、のたうち回って2ラップ終わってあわてふためきゴールすると、関西風に言うなら

「兄ちゃん、時間が延長になってんねんで、余裕でゴールや。なにあわててんねん」

ですね。

私らみたいに「勝負のかかっていない、参加することに意義のある」のは「えっ、そうなの、まあ終わったからいいや~♪」で終わりなんだけど、トライアルがお仕事のプロはそうはいかない。
時間延長を知ってて余裕で下見をして減点をまとめた組と、タイムオーバーを計算して下見もそこそこにオール3点覚悟で走った組、とは天と地ほどの差。

はい、私も時間延長を知らない組で、SUZUKI親分の名倉さんはメカニックから聞いて知っていたそうだけど、スカの底辺クラスには連絡が回ってこなかった。

⚫西山さんが1万円札を持って、万沢さんが猛抗議

何故か、近畿のプロというかメーカーおかかえのプロはこのことをちゃんと知っていて、組織メーカーに属さないプロは知らなかったみたい。
今から考えるに、やっぱり「寄らば大樹の陰」ですよね。

帰り道、関西まで遠いのに、なかなか表彰式が始まらないから大会本部まで様子を見に行くと、西山さんが抗議文書に1万円札をクリップでとめて握りしめ、横で万沢さんが「勝手に時間延長して、ほとんどの誰も知らない」事へ、二人で口角泡を飛ばして猛抗議のまっ最中。
SSDTご三家の一人の成田さんはそこへはいなかった。

西山さんと万沢さんは喧嘩っ早いけど、成田さんは「火の中の栗は拾わない」タイプだから、喧嘩腰の抗議になるのは分かっていたから行かなかったのもかもしれない。

私を含めて、大きな大企業の末端社員は「会社方針の異議を上司に訴えても通らない」のを知っているから、体を張った抗議なんて見たことも経験したこともなし。
一匹狼筋金入りの個人商店自営業、西山さんと万沢さんの、殴りかからんばかりの体を張った猛抗議を、人生で初めて見たのもこの早戸川。

結局、この抗議はとおらなかったけど、以後の全日本はこの経験から、大会中の時間延長には慎重になったみたいだし、第一セクションはどの大会も簡単ラインを作るようになったんですね。

近藤さんが勝って、伊吹も勝ってヤマハ圧勝

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⚫近藤さんが勝って、伊吹も勝ってヤマハ圧勝

伊吹健次って誰も知らないだろうけど、私が駆け出しの頃の関西のすさまじい執念と努力の人。
今で言う国内A級なんだけど「頂点に駆け上がり、トライアルで食う」というすさまじい信念のもと、バイトで稼いだ金すべてでガソリンを買い込み、中古のYAMAHA/TY250Jに中古のオンボロ軽トラで、当時、出来たばっかりの京都/亀岡トライアルランドが練習拠点。

暗くなって練習が出来なくなると、買ってきた食パンの耳をかじって山水を飲み、軽トラの荷台にグリーンシートを斜めにかけテントがわりにし、寝袋でそのまま泊り込み。
これが4~5日続き、雨の日もそのまま軽トラの荷台に半分濡れながら寝て練習継続。
1年以上、天気でも雨でも天候関係なしにこれをやるもんだから「ゴホンゴホン」とおかしな咳をし始め、でもやっぱり咳をしながら練習続けて、きっちり結核発病。

結核が判明する前にこの早戸川大会、私と同じジュニアクラスを戦って当然のように伊吹が制したわけですが、結核がわかって「人に移る」から入院生活を余儀なくされて、そのままトライアル界から消えたという伝説の人が伊吹健次なの。

子分という言い方は失礼だけど、たしか伊吹といつもいっしょに練習していた西田等というのもいて、この人も同じく結核で入院、トライアルを断念した人。
多分、伊吹のが移ったのだと思うけど、また逆に、西田が伊吹に移したのかもしれない。

子分の子分もいて、京都トムスの吉川さんとBOSCO.MOTOの橘田さん。吉川さんとはあんまり練習したことはないけど、橘田さんとはけっこうよく練習し、ゴホンゴホンとおかしな咳をしていたのを覚えているけど、発病まではいたらずで、あぶなかったですね。

私??、私は大企業に勤めていたから強制的な定期検診があったから安心とは言わないけど、でもまあ、私も結核にならなくてよかった。

トライアル4度全日本チャンピオンのエトスデザインの近藤博志さんも、駆け出しの頃は、これと同じことを神戸六甲山を拠点としてやっていたなんて話を聞くけど、近藤さんと私はライバル同士だったんで、あんまりいっしょに練習していなくて本当のところは知らない。
日雇いタクシーのアルバイトをして、練習できるガソリンを買い込むだけ稼いだらバイトを中止、そのまま六甲山中へ泊まり込み練習。
練習するガソリンがなくなったら、町へ降りていき、またタクシーのバイトして稼いで、また山へ行っての繰り返し。

伊吹は亀岡へ、近藤さんは六甲へ、私は生駒へ、が生活のすべてだった人生の一時期。

いやはや良い悪いは別にして、こういう人が、私が頑張っていた時代には何人もいて、今のトライアルの基礎を築いたのは事実。
少し時代が違うけど、先日の全日本鳥取大会国際B級で勝った復活組の北海道の小林直樹さんもその一人ですね。

小林さん、自分にも他人にも厳しいんで、教え指導するんだったら今の若いのはとてもついていけないと思う。
私みたいに、知能がまだ完成していない幼児か子供をさらってきて教えるのがベスト。

エキスパート、関西のナンバー1の近藤博志さんはこれも当然のように勝って、2位は同じく関西の健さんこと/加藤文博さんで、関西強しは伝統的にこの頃からなのかもしれない。

⚫自分は7位か8位か覚えていない

私って何位だったんだろう。7~8位だったような気がするけど、まったく順位に興味がなくて、早く帰って「見たこと新しい乗り方」の練習をしたいのが、いの一番。

人生で一番「ワクワクどきどき」の時代で、まさに「トライアルすることが面白くてしかたがない」ん、だったんだろうね。

10年後、私が警察を辞めてヨーロッパに出て行ったのも、日本でのトライアルに「ワクワクどきどき」がなくなってしまったのが、一番の原因だと思う。
野茂やイチローや松井、他、多くのプロ野球選手が、今、大リーグに移籍しているけど、この人たちも日本での野球に「ワクワクどきどき」がなくなってしまったのも、同じだと思う。

単に「ワクワクどきどき」の為だけに、超安定した職業公務員を辞めて次の新天地を求める。
かっこういいけど、一応は成功したから言える言葉であって、朽ち果て敗残兵で帰ってくると今頃はホームレスで、黙って下を向き口を閉ざしている。


かっ飛んでその日のうちに帰路、大阪を目指す。

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⚫かっ飛んでその日のうちに帰路、大阪を目指す。

表彰式が終わって、夜の何時になったんやら記憶にないけど、その日は浜松の東京側の磐田市に住んでいる名倉さんの家まで深夜に帰ってきて、「泊まっていけ」を「明日は仕事があるから」で、SUZUKI本社から名倉さんちまで運んでもらっていた、私のSUZUKI軽キャリー450に乗り換え大阪まで帰る。

今の軽は規格660ccですよね。その昔は360ccで、私が軽トラを買った時分は450ccまで排気量が上がっていました。

当時、北米輸出用の車格のSUZUKIジムニーの排気量は550ccで、時効だから白状しますが、以後、全日本の遠征が軽ではきついとSUZUKI/SRS(スズキレーシングサービス)に言うと「550ccにしてあげる」と言われ、私の軽のSUZUKIキャリーは当時ボアアップした550ccだったのです。
もち、キャブレターもそれに合わせてビックサイズに変更していました。

で、もっと高速でスピードが出るようにと伝達ファイナルのデフギァもSUZUKI軽乗用車アルトか何かの、ギァ比の低い、つまりバイクでいう「後ろのスプロケットを小さくした」のにも変更していたのです。
この改造でバイクやほか装備一式を積んで、当時の普通車主流排気量の800cc~1000ccと同じスピードで東名名神を走れたわけ。

はい、当時は軽には車検なんてありません。

大政奉還が150年前で、従軍慰安婦問題が70年前のお話です。
で、警察官を退職してすでに32年で、この排気量変更の車両運送法違反は42年前の話で、現職の警察官がそんなことをしてもいいのか、は笑ってお許しくださいね。


⚫使ったRL250Lワークスをそのまま持って帰る

大阪に帰るとまたYAMAHA/TY250Jに乗るしかないと思っていたら、早戸川で7位だか8位に入ったからか、トライアルに打ち込む姿勢が伊吹健次に近かかったのか、「使ったRL250ワークスをそのまま持って帰れ」と名倉さん。

SUZUKIのSRS(レーシング部門)も、エキスパートクラスの社員ライダー名倉さん一人じゃ心細かったのか、もう一枚若いカードを探していたみたいでこっちに白羽の矢が刺さる。
以後、スズキのトライアルといえば黒山一郎の悪夢の時代が始まるのですね。
結果、SUZUKIで2回全日本チャンピオンとったから、SUZUKIのこの当時の配慮厚遇にはお返しはできたと、自画自賛勝手に思っています。

以後、ヤマハは木村、ホンダは近藤、スズキは黒山、カワサキは加藤の4メーカー4ライダーがしのぎを削った、第一期トライアル黄金時代はすごかったのですよ。

昨年末、スズキレース関係者&ライダー忘年会という催しが浜松グランドホテルであって、招待状が届いたから末席ながらお邪魔しました。
この時に当時のトライアルに関係した人々の想い出話で

「スズキにとって、5年で撤退したトライアルとはいったい何だったのか」

のお話になり、結果、日本人トライアル世界チャンピオンライダーの誕生も、息子さんの全日本チャンピオンライダー誕生も、黒山君がいなければありえない話で「指導者.黒山君をいちから育てる為にSUZUKIはトライアルをやったようなもの」の、結論のようでした。

はい、ライダーとしての素質はあんまりございませんでした私としては、私が現役をやめてから「出来あいの若いのじゃなくて、ゼロから子供を育てたことにおほめをいただきまして」異論はございません、仰せの通りでございます。

私にとってトライアルとは、今現在のトライアルをまだ仕切っている全日本現役トップライダーの面々、つまり元少年ブラック団のトライアルライダーを誕生させるための、咬ませ犬(試し人)だったのかもしれませんね。

思うに私は、例えば「右向け、右」と言えば右を向いてくれる「高校野球までの監督」には、自分自身が先頭を走るからすごい実力があるのかもしれません。
ですが「自分で自分のことが出来る」ようになった、その先のスポーツ選手集団の監督は向いていない、かもね。
まあとにもかくにも「名選手、名監督名コーチにあらず」は、当たっていますよ。

さて、当時のSUZUKIのSRS(レーシング部門)の最高責任者、マン島TTレース日本人初優勝者の伊藤光男さんもご在命で、元気にお姿を見せておられました。

蛇足ですが、当時若かった世間知らずの私がかっこうのいい契約プロライダーになりたくて

「大阪府警を辞めてスズキの社員ライダーとして雇ってくれ」

の、私の執拗な申し出に、頑固なまでにそれを否定して

「大阪府警で趣味の範囲内でトライアルを続けなさい」

と言って説得してくれたのも、御大.伊藤光男さんなのです。
まさに、正解でした。


⚫交機隊駐車場で仮眠して出勤

深夜の東名名神を、いただいたバリバリのワークスRL250を積んだSUZUKIキャリー軽トラで、当時はオービスも何もなく安心してかっ飛ばし、大会翌朝の早朝午前5時頃、大阪市城東区(大阪城の隣の区)にある交機隊の駐車場に直接行って、軽トラ車中でウツラウツラ仮眠。

午前9時前「おはようございます~♪」って明るい挨拶をして、何事もなかったように白バイ訓練指導のお仕事に職務専念したのが、初めて経験したトライアル全日本第2回大会のいきさつ。

いやあ今67歳で、この話が若き24歳の時でしょう。思い出すだけで、「頭も体も」若いというのは素晴らしいことですね。
当時、単純に「行けない所が、明日行けるようになる」という、ワクワクどきどき感で毎日を送り、あの、人生幸せいっぱい地球は自分の為に回っているは、いったいどこへいったのか。

今は人生を知り尽くした顔、トライアルを知り尽くした顔をして、何事にも動じないと思っているのはいいけれど、あのワクワク感高揚感のない毎日を送っていてこれでいいのか。

私と同じ食道ガンで逝った赤塚不二夫の名言「これでいいのだ」ではないけれど、「ワクワク感のない日々、これではよくないのだ」に、どうする。

ステージ3まで進んでいた食道&胃ガン全摘出手術から4年半経ち「5年生存率40%」の、つまり、10人中4人しか助からない生存率40%の仲間に入れるかもしれないのに、同時期に同じ食道ガンになり助からず先に逝った、藤本義一.やしきたかじん.中村勘九郎面々、三途の川の向こうから「お前は何をやっているんだ」の、お叱りを受けそう。

それと同じく「日英ガン友」だったマーチンランプキンが、私よりも若いのに同じ胃ガンで先に逝ってしまい、マーチンの孫とうちの孫の世界チャンピオン争いに参加出来なくなり、その分、マーチンの意思も私の背中に乗っている。

マーチンの重い十字架を背負い、また、トライアルで何かをやる。
私にはトライアルしかないんで、また何かトライアルのことで先頭を走りたいですね。
こうご期待のほどを。

これでとりあえずは、「黒山一郎といえばSUZUKI」のデビュー戦てん末記ははおしまい~っ。

★オイルの事、うんちく少しだけ

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オイルは、以下の三種類に分けられます


①100%化学合成油→最高級、でも高い
②部分合成油→真ん中の位置、値段も中くらい
③鉱物油→性能それなり、でも値段は安い

●2stのミッション室オイルのこと

1.トライアルでは、2stのミッション室オイルにひと昔前は「鉱物油のミッション室専用オイル」を使うのがベストでした。最近まで、私もそう思っていました。
2.でも、この鉱物油のミッション室専用オイルは、安いのは安い(1,000円/Lくらい)のですが、しょせんは鉱物油ですので耐熱性も耐久性も、そんなにはありません。
3.ですが、まあ、おのおの方のように一生慣らし運転のトライアルではこのオイル価格が安くてよろしいのです。でもね、近年のクラッチをガンガン多用するトライアルでは、この鉱物油ギァオイルではとても対応できず使えなくなってきているのは事実。
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4.クラッチの遊びが変わる、レバーを握ってもクラッチが切れない、半クラ部分しかないようになる、これらの多くの原因はミッション室オイルの熱変化が原因なのがほとんど。
5.2stのミッション室専用オイルの目的は、1番はギァ摩耗防止で、クラッチ性能は2番手だから、いた仕方ない部分もありますが、これ以上のクラッチ性能アップはこの鉱物油では無理。
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6.こうなると今のトライアルでは、各種添加剤配合の100%化学合成油/4st2輪専用のエンジンオイルを使う方がベスト。
7.この100%化学合成油の4st2輪専用のエンジンオイルでも、金属摩耗に強いのか、クラッチに強いのか、つまりクラッチ系統に良い成績が出るオイルと、そうでないオイルとに分かれます。これはメーカーの考え方の違いでしょう。
8.当社のおすすめは、うちのテストライダーのテストでクラッチ性能に良い成績を出した4stオイル/Mosul-300V4Tですね。
9.Motul-300V4Tのうち、最軟「5W-30」と最硬「15W-60」の使い方違いは単純で、冬場は5Wの方、夏場は60Wの方を使います。
10.まかりまちがっても、4st4輪専用オイルは使っちゃダメですよ。

●2stのガソリン混合オイルのこと

1.2stガソリン混合オイルは、レース用と称する「100%化学合成油/最高レベルの2stオイル」を使ってはいけませんよ。
2.多くの民間人おのおの方は「一生慣らし運転」で、おばちゃんのスクーター運転みたいなもの。
3.このおばちゃんスクーター運転に高回転用のレース用オイルは必要ありませんどころか、排気系にカーボンがたまってどうにもならなくなります。だから、ワンランク下の部分合成油、おばちゃんスクーター用オイルでいいのです。
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4.うちのテストライダーが10年前に4stに乗り換える以前、トライアルを始めた時からずっと2stですが、始めに書いたレース用と称する「100%化学合成油/最高レベルの2stオイル」は使ったことはありません。
5.いつの時代も、契約メーカーから2st最高級化学合成オイルの支給提示を受けますが、必ずワンランク下の部分合成油を支給していただき使っていました。
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6.参考までにスポンサーも何もつかない現在の、女子部のBeta-Evoも、孫の乗るエンジンぶん回しのRTL50Sも、2st混合オイルは日曜大工の店で買ってきた“SUZUKI.CCIスーパー2stオイル”を「70:1」で使っていますね。もちろんこのオイルは、FC規格の部分合成油です。

●2stのガソリンとの混合比のこと

1.ガソリンとの混合比ですが「100:1」とか「80:1」と申しますが、当社では長い経験から「70:1」をおすすめします。
2.ひと昔前はこの100:1〜80:1なんかでよかったかもしれません。ですが今は、一番負担のかかるクランク軸左右メインベアリングが、エンジンの小型化にともない、ベアリングも小型化になっており、でも、パワー負担は今まで以上。
3.だから、オイルを多い目に供給する方がベスト。ちなみに公道をかっ飛ばすSSDTは「50:1」で、皆さんやっています。
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4.100:1と70:1は、ガソリンの量が100:1の方が多いからパワーが出る、と申すやからがいますが、これは机上の理論で、実際にそのパワー差がわかるのはまずいません。
5.それよりも100:1と70:1のエンジン音の違いは、民間人でも分かるほど違うのです。荒っぽく言うと100:1は乾いた音、70:1はいい感じの湿った音、という表現でしょうか。
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6.今のトライアルエンジンは、クランク軸左右のベアリングに相当無理のくる設計ですので、このベアリングはごく普通に乗っていても「シャ〜」という音が出始めて、2年か3年で焼きつき現象が出ることがよくあります。
7.70:1の混合比にすると、これがなくなる、とは申しませんが、かなり焼きつきまでの期間が改善されるのは本当です。

●オイルメーカーのこと

1.豆腐を作る過程で出来る残留物がおからです。ですから“豆腐屋さんのおから”が一番美味しいのです。同じように、どの用途のオイルでも、荒っぽく言うと、オイルは「原油からガソリンを製造する過程」で出る残留物で作ります。
2.ということは、どの種類のオイルでもガソリンメーカーのオイルが一番と考えています。オイルの原料のその残留物が豊富にあ り、実験と試作品を作る材料が無限にただで手に入るガソリンメーカーのオイルが、一番性能に優れ高品質ということです。例 えば「エネオス.Motul.BP.エルフ.シェル.TOTAL」とか等々ですね。
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3.二輪メーカー純正オイルは、例えばヤマハ純正オイルは「ヤマハ製造」ではなくて、製造元はガソリンメーカーで⇒販売元がヤマハです。
4.産油国アメリカのアメリカ製では“オイルのみを製造販売”しているメーカーが多数ありますが、これも良いのが多いのは事実。老舗ではValvoline(バルボリン)やBelray(ベルレイ)等ですが、世界で最初にエンジンオイルを作ったのはValvoline(バルボリン)を雑学として知ってください。  
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5.オイル選びのもうひとつに“性能に関係のない”見た目目立つ目的で色を付けているオイルがありますが、これもやめてくださ いね。赤い色のオイルなんて、気持ちが悪い以外の何ものでもありませんよ。

以上、イワシの頭も信心から、信じるものは救われる、のお心で気持ちよくお信じくださいね〜♪


イチローより

9月8日(木) 娘とヤマハ発動機(株)本社へ、おデェートの巻

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三人の選手「健.陸.陣」と、一人のメカニック「二郎」がフランス行って不在のおり、のっぴきならぬ用事で静岡県にあるヤマハ発動機(株)に、娘を引き連れおデェートに行ってまいりました〜♪

おデェートは名目上で、ずばり娘のお役目は「長距離運転手」ですね。


何はともあれ、いつも一番お世話になっております、ここへご挨拶。

ここはHONDAのHRCと同じく「秘密のかたまり」みたいな所だから、冗談にでもチラチラ中をのぞくようなそぶりを見せた途端に、警備の屈強大男の方が飛んできて「ちぎっては投げられたり」はしないけど、即、退去処分。

とならないように、あっさり挨拶だけで終わります。



娘が「じぇったい行きたい〜」と申しておりました、最近、リニューアルされたばかりの三階構造のヤマハの歴史がわかるコミニケーションプラザへ、レーサー整備室から逃げるように転がり込みます。

まあ、こんなんありましたなんて紹介してもありきたりだし、これは「一回、ぜひ行ってみて」の、ご案内でパス。



娘が一番感心していたのが、ヤマハ製車椅子に作られた「太鼓」と「ヨットの帆みたいなスピーカー」ですね。
ヨットの帆から音楽がかなでて聞こえ、風でゆれるとエコーがかかるという音響システムで、頭のいい人が考えるとアイディアはいろいろ出てくるもんですね。



2時間弱の見学会は無事終了して、日本的に「万歳三唱」で〆といたします。



天気で風が強くて雲がなかったら「富士山が見える」という、三階にあるコミニケーションプラザレストランで、あのロッシも絶賛したという高級フランス料理お昼AA定食をいただき、最後に出てきた「バイクマーク入りコーヒーカフェオーレ」をいただきました。

またぜひ、行きたいですね〜♪

イチローより



6/6 コーヒーにだまされる

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A.その昔、ヨーロッパで天然痘がはやっていた頃、何故か「牛飼い」の人々は天然痘にかかりません。
1)牛の天然痘である牛痘に先にかかっていたから、人の天然痘にかかっても軽くてすむ。
2)これに気づいたイギリス人医師のエドワード.ジェンナーが種痘を開発した。

B.その昔、日本の船乗りは「脚気(かっけ)」に悩まされましたが、ヨーロッパの船乗りに脚気はそうはいませんでした。
1)白米を食べる日本の船乗りと、パンを食べるヨーロッパの船乗りの違いが原因。
2)パンの原料である、麦に含まれるビタミンB1を摂取することで改善した。

C.その昔、結核患者にガンの人がいないか、極端に少ないのに気がついた医師がいた。
1)結核菌がガンの細胞を殺すか増殖させていないのではないかと、その人は研究した。
2)その人の名前は丸山医師で、有名な丸山ワクチンを開発した。

Dその昔も今も、アフリカや中南米のコーヒー農園で劣悪な環境で働く労働者に、ガンになる人が極端に少ないのは事実です。
1)医学的根拠はないけれど、コーヒー会社はこぞって「コーヒーを飲めばガンにならない」と宣伝している。
2)で、ガンの再発を恐れるイチローさんは、コーヒーを飲めばガンの再発を押さえられると信じ、高価なコーヒーメーカーを買ってきてあやつり毎日飲んでいる。

でもね、同じ高校の先輩のあの「健さん」は大のコーヒー好きで1日8杯も飲んでいたそうで、でも結局、ガンで逝ってしまったけどこれはどう説明するの。

最初に買ったコーヒーメーカーは中国製安物1,800円のやつ。で、一念奮発して「自分で最初に蒸らしをして、手動みたいにお湯がクルクル回りながら何回にも分けて自動で出てくる」国産ハリオ社製のを14,000円で買いました。
以前、テレビの「喫茶紹介」で、バイトの素人が入れるよりこの機械のほうが美味いと、この機械を何台も並べて仕事をさせていた番組がありましたほどのコーヒーメーカーです。

ガンが見つかる5年半前までは「休肝日」どころか「休肝時間」がないほど飲んでいた、ビールにワインに焼酎に日本酒にウィスキーを「死にたくない」の一念できっぱりやめ、今は健さんみたいに1日8杯は多いんで、1日5杯までと決めて飲んでいます。

コーヒー生産国世界4位のインドネシアにデモンストレーションに行った経験のある健一に言わせると、インドネシアの野生のジャコウ猫うんこコーヒーが世界で一番美味しいコーヒーだそうで、実際に本場で飲んでみたけど本当に美味しかったそう。
でも、高価だからパッチもんも多くて中国製「どら猫うんこコーヒー」や、フォアグラみたいに「養殖ジャコウ猫うんこコーヒー」もあるそうで、いつかは本物を飲んでみたいですね。

Blog「だまされ日記」復活のイチローさんより

6/9 Beta-Evoくん、お疲れ様です

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イギリスではスポーツだけでなく芸能でも音楽でも政治でも「3世代頂点が続く」と、サー(Sir)なりナイト(Knight)の叙勲なり栄誉賞号が送られます。
ここではサー(Sir)とナイト(Knight)の違いの説明は、勲章というものの文化が違う日本国民には理解しがたくパスしますが、まあ、女王陛下から名誉あるごほうびをもらえる、と荒っぽく単純に思ってください。

イギリスのトライアルの名門ランプキン家は、1)アーサー→2)マーチン→3)ドギーの3世代世界チャンピオンが続いたとなっていますが、それは周囲やマスコミがそうはやし立てているだけで、当のランプキン家は「アーサーはヨーロッパチャンピオン」であって、まだ3世代世界チャンピオンは続いていない、とドギー自身が申しています。

ドギーには息子がいて、真の3世代世界チャンピオン達成のために今現在鍛え上げているのかは、ヨーロッパのトライアルを終了しているし情報が入ってこないからうちら知らない。

日本では「3世代頂点が続いても」、モータースポーツでは国民栄誉賞どころか勲七等も春か秋の園遊会にも招待されないだろうけど、まあ何はともあれ1)一郎→2)健一と2世代はチャンピオンが続いているので、その歴史を消さないように3世代目をなんとか全日本チャンピオンにとたくらんでいる最中。

王位継承の皇室ではないですが、黒山冠の男系の男子が続いている孫三人を鍛え上げている最中で、トライアルするに山へ行かなきゃまずは始まりません。で、一郎さんは先頭を走ってガキ相手に模範演技をしたり、後ろを走って追い上げ大声で気合を入れたりするのに、今までは娘の乗っていたBeta-Evo250を足がわりに乗っていました。

今年のもてぎ世界選手権使用車のほぼ新車の、シェルコST125がインポーター(輸入元)の秋山さんのご配慮で分けていただき黒山ファミリーに嫁いできたの。
今現在、ちびたちは「トライアルごっこが出来ますよ」のホンダRTL50Sのミニバイクに乗っているけど、もうすぐ近い時期にこの本物のフルサイズ125に乗り換えるの必至だから、一郎さんが山に乗って行って慣らしをしている現況。

こうなると今まで乗っていた娘のBeta-Evo250はお役御免になり「今までご苦労さんでした」と、エンジンを含めて機械的に動く部分をすべてオーバーホールしてグリスアップし、前後フェンダー類も交換して化粧直しをしている最中の一郎さんですね。

「芸は身を助ける」とはよく言ったもので、最終学歴が「大阪府警察学校/柔道部」なくせに趣味で始めたバイクいじり、名古屋風に言うとバイクなぶり、オートバイ屋さんのどこにも働いた務めたことがないくせに、これが出来るんですよ。
「好きこそものの上手なり」の典型ですね。

一郎さんより

6/13 この頃のガキは木登りをせん

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昭和30年代、一郎さんの小学生時代は木登りはメジャーな遊びでした。親から注意された事はだた一つ「柿の木ば、いきなり折れるけん注意しとかないけんよ」だけです。柿の枝は「柳に枝折れなし」ではないのです。
うちの工場の目の前には柿の木が生えていて、ご覧の通りの大きさで、木登りには快適です。でも、残念ながら渋柿です。

ガキ一人ならどの枝にぶら下がっても折れたりはしませんが、何人かで同じ枝にぶら下がり、反動をつけるといきなり折れます。この「いきなり折れる」のがいかんのやね。メキメキバキバキと、ゆっくり垂れながら折れてくれればいいんやけど。
先日も3人が一本に同時にぶら下がって「バキッー!!」って折れて3人ともに落ちましたが、下が芝生みたいな雑草の生えた斜面になっていますので、転がって「あ〜痛かった」で終わりです。

でもやっぱり危ないのは危ないので、ぶら下がりそうなの折れそうなの、には補強のロープを上の枝に絡ませて吊り強化対策をしています。
曰く、ぶら下がっても今までみたいに「ビョヨ〜ン」ってならないから面白くないんだって。
でもでも子供は遊びの天才で、この吊り下げ補強麻ロープを使ってターザンしたり、よじ登りでまた遊んでいる。

でもまあ、こうなるよりはマシやろうが、ということで納得させています。



この写真は今年の1月のもので、左の女の子は自宅横のまさに柿の木の枝折れで落ちて肘を骨折、2番の陣は木から落ちてはいませんが、練習中にバイクが竿立ちになって左に倒れてヒビが入ったもの。同じクラスの同級生同士です。

お互いに隣の席同士で、口ではどちらも「きらい」と申しておりますが、さて本心はどうでしょうか。

一郎さんより

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